第一章 『西洋乙女』①

 東洋の国には、太古の時代から人間よりも上の存在、聖獣がいる。

 太古の東洋人は神として彼らに頼り、一緒に共存し、繁栄していた。

 五十年前の北洋人との戦争も、聖獣の力を借りた東洋側が勝ち、東洋人は彼らに社、寺院を与えるのだった。聖獣から知恵を、勇気を、霊力を受け取り、代わりに対価を払う。

そんな風に発展してきたのだが、二十年ほど前、西にある竜の神域のさらに向こう、西洋の国から使者が来る。

 金色の髪に白い肌の彼らは、神という存在を東洋人に伝えに来たらしい。東洋人からすれば、神は聖獣たちの事であり、人間の神様はいないと思っていた為、驚いたという。

『結構です。お会いした事のない神様よりも、お会いした神様がいいので』

 東洋の偉い人は、使者たちにそう伝えた。

 というように、神も天使も悪魔も東洋の国に馴染まなかった。宗教の印象は微妙だったが、それ以外の西洋から来たもの、洋菓子や洋服、機械技術、建築技術はとても感動され、受け入れられ、生活の一部になった。ハイカラで、モダンなそれは、とても国を発展させ、市電や百貨店、街並みも洋風なものが並び、街を歩く人間も、洋装が増えてきたのが事実。聖獣への貢ぎ物も、質のいい輸入物の絨毯や、万年筆が喜ばれる時代に進んだ。

 そのような時代、254年 皐月。

 時々、大雨が降り、湿気交じりの嫌な臭いが街に充満する。

 ここは東洋の『陽の国』中央部分の町『叶虎(きょうこ)』

 首都『烏比(からすび)』が隣にある事と、陸軍の軍事施設がある事で、この町は栄えていた。

 陸軍施設、基地の中も同じように、雨は降っていないものの、湿度が高く、片頭痛で頭がクラクラする。木造建築の基地の廊下は湿度が原因か、人が通るたびに軋む。

 そこを一人の将校が音を立てながら、ドタバタと運動神経皆無の走り方で廊下を渡っていた。

 霊力が込められている黒髪は、実に艶やかで、光が当たる度、青みがかかる。

「あっ、ごめんなさい」

 彼はすれ違った兵隊とぶつかりそうになり、謝罪の言葉を口にした。すれ違った彼も、走っている彼も、着ている軍服の左腕には、四足で立つ虎のワッペンが縫われている。

 陸軍の聖獣は先代までは虎で、それが陸軍の証とされていた。

 そして応接室の前にたどり着き、扉をノックし、開ける。

「橋本大佐、すみません。失礼します」

「あー、佐倉少尉か。ご苦労様」

 橋本と呼ばれた中年の男性は、口髭を生やしており、切れ長の黒い瞳が東洋人らしい。

 身長はスラリと高く、五十代という話だが、実に若々しく、髭を生やしていなければ三十代半ばに見える。彼は『橋本 勇五郎(はしもと ゆうごろう)』成人した子供が二人いて、その息子は同じように陸軍で少尉をしていた。

「さあ、中に入りなさい。この間、百貨店に行った時に、良い茶葉を仕入れたからな」

 勿論経費で買ったよと、勇五郎は言い、紅茶缶を棚から出す。

 彼はこの応接室を私物化していて、高級なカーペットに、輸入物のソファー、アンティーク物の戸棚、趣味で揃えた蝶の標本が壁にいくつも飾られていた。

 勇五郎は霊力が生まれつき弱く、本来なら大佐まで出世する人間ではない。

 だが、彼は聖獣と仲良くなるのが、とても上手だった。

 昔からの友人のように扱い、貢ぎ物のセンスも良い、胡麻をするのも言葉巧みで天才的だ。

 軍人じゃなければ、商人か、証券会社か保険会社の営業をしていたかだろう。

 そんな勇五郎は、佐倉にこう言う。

「ダージリンとアールグレイ、どっちにしようかな?今の若い子って、どっちがいいものなの?」

「あの、紅茶は後で頂くんですけど……緊急な用件でそれだけお伝えしてもいいでしょうか?」

 佐倉の話を半分聞きながら、勇五郎はティーポットに茶葉を入れる。

「というのも、西洋の国から電報を預かりまして……」

「そうか、そうか――」

 彼は頷きながら、水が入っているやかんを常用七輪にセットする。

 西洋からの電報、ざっくりとした内容はこうだ。

 西洋の国は、西洋竜から使うなと言われていた禁忌魔法を使ってしまい、彼らとの戦争は避けられない状態にある。無理を承知での依頼だが、東洋の国から援軍をお願いしたい。

 勇五郎の朗らかな笑顔が、引きつったものに変わるのを佐倉は見逃さなかった。

 お湯が沸いたのか、やかんがキューっと音を出し、それが応接室に響く。

 紅茶を入れた大きい水筒と茶器を持ち、陸軍が抱えている聖獣の元へ移動する。

「橋本大佐、待ってください」

 佐倉は、霊力と成績こそいいが、運動神経が欠けているようで、少し走っただけで息が上がってしまう。一方、勇五郎は、霊力が無いに等しいが、運動神経は抜群、早歩きだというのに、とても速い。

「佐倉少尉、急ぐのだ!先生に良いものを渡さなければ、良い知恵を貰えないだろう!」

 早歩きで応接室を出て、陸軍基地内の古い屋敷に向かう。外は曇っているが、太陽の明かりだけが差し込んでおり、それが佐倉の片頭痛を悪化させていた。見えてくる屋敷は、神社と寺院と蔵を足して割ったような外観で、軍用のショットガンを抱えた若い将校が二人、見張り番として配属していた。蔵にあるような大きい扉には、神聖な結界が張られている。

「橋本大佐、佐倉少尉殿」

「どうしたのです。二人で息を上げて――お茶でもどうですか?淹れますよ」

 そう一人の将校が言うが、二人にはその余裕はない。

「茶なら持っている!急ぎの用だ!扉を開けろ!」

 そう言われ、二人は慌てて敬礼し、扉に付けられた結界を解く。霊力の高い一人が扉に触れると、そこに青白い魔法陣が現れ、もう一人が誰にも聞こえない小さな声で呪文を唱える。

 すると、扉が開くのだが、呪文を唱えていた一人が言う。

「先生は、橋本大佐だけ通すようにと――」

「先生らしいな――」

 勇五郎と佐倉の会話を聞いていたのかもしれないと、その場にいた全員が思う。

「後、紅茶は持ってこいと」

「実に先生らしい」

 聖獣は、やはり会話を聞いていたようだ。百貨店で買った高級紅茶の味が気になって仕方がないらしい。勇五郎は佐倉から紅茶が入った水筒を受け取り、屋敷の中に入るのだった。

 勇五郎がその扉の隙間から中に入ると、まるで別世界にいるような空間になっている。

 天井は見えず、代わりに夜空があり、小さな光が星のように瞬いていた。霊力が強い聖獣には、よくある事だ。自分の好きなように、霊力で空間を広げ、景色を変える。

(妖術の類なのだろうなぁ)

 勇五郎は楽観的で、聖獣に自分が招かれていると感じ、嬉しくなった。

 鼻歌を口ずさみながら、廊下を渡ると、そのうち灯篭が左右に設置され、その間隔もどんどん狭くなっていく。そして、入口と同じような扉が先に現れた。

「あっ、扉だ」

 結界が張ってあるようで、触れると若干ビリビリと電流が体に走る。

 まるで、電気風呂に入っているような感覚だ。

「先生、開けてください。お紅茶お持ちしましたよ。期間限定のブレンドだそうです」

 勇五郎は締め出された猫のように、情けない声を出し、聖獣に媚びると、扉が独りでに開き、彼は中に入った。自家用車ほどの大きさの聖獣は、模様が繊細な絨毯の上で寛いでいる。

 鹿のように額から後ろに伸びた角に、翡翠色の鱗は魚のようで霊力が通っていた。

 後、青白いたてがみがあり、蹄は整っていて、こまめに手入れさえている事が分かる。

「あっ、先生。今日もお美しいですな。絨毯の模様が映えます」

『お前はいつもそうだ。適当に褒めれば、私の機嫌が良くなると思っている』

 麒麟と呼ばれている彼は、いじけたように絨毯に寝そべった。

『紅茶、淹れてくれ』

「はいはい。百貨店で試飲させていただいたのですが、とても美味しかったですよ」

 勇五郎は茶器を用意し、水筒から紅茶を注ぐ。

「どうぞ」

 聖獣は勇五郎に用意しろと言ったが、すぐに飲まず、大事そうにそれを眺めている。

 聖獣は美しいもの、美味しいものが、とても好きなのだ。

 特に彼はそれで、飽きるまでそれを眺め、愛でる。

(可愛いなぁ、それに美しい)

 聖獣たらしの勇五郎は、その仕草が愛おしくて仕方がない。

 神通力で話しかけてくる事も、なんやかんやで親しく名前で呼んでくる姿も、全部愛おしい。

「先生、相談があるのですが……」

『あぁ、例の西洋の件だろう』

 やはり、話は聞いていたようである。

「なら話は早いですね。対応は、どういたしましょうか?」

 勇五郎達は何故、対応に悩んでいるのかというと。

 古代の時代だが、東洋人も、竜から禁忌と言われているものの説明は受けている。

『それを破ったら、我々竜は、その土地の人間を滅ぼさなければいけない』

 謝ればいいのではと思うだろうが、竜の性格は生真面目で、怒りっぽく、怒ったら根に持つ。

 謝っても許してくれる訳がないのだ。後は、東洋にも竜がいる事、もしかしたら彼らに西洋竜の親戚がいるかもしれない事。竜の寿命は、五百年から千年という話も聞く。

 もし、信頼が敵意に変わったら、人類が滅んでしまうかもしれない。

「東洋では竜も神様ですよ。怒らせたくはない」

 勇五郎はそう呟く。

 では、西洋からの電報を無視し、援軍を断ればよいのではと思うだろう。東洋の国はどこも、聖獣達とその霊力に頼っている。西洋の国は科学技術、工業技術が優れており、戦争になったら東洋の国は大変なことになってしまう。聖獣達は、人間の喧嘩に干渉はしないだろう。

 という事は、西洋との戦争の話が出た時点で、東洋の国は負ける。

(そんな事はあってはならない……絶対にだ……)

 勇五郎は思う。西洋竜を怒らせずに、西洋の国に援軍を出さなければいけない。

『じゃあ、こういうのはどうだろうか――』

 勇五郎の前にいた聖獣は、こんな提案をしてきた。

 それは軍人ではなく、訓練されていない一般人を派遣するというものだった。

「ですが先生、竜からすれば一般人と軍人なんて見分けがつきませんよ」

『女子ならどうだろうか?それなら竜でも、見分けがつくだろう』

 麒麟は神通力でそう伝える。

 彼の話は名案であったが、それは若い女子の未来を奪うという事を意味していた。娘がいる勇五郎には、それが重く、いつもの明るい顔も、何とかなるさという言葉も出てこない。

『勇五郎、私がすべて責任を持つ。気に病むことはない、私の案で命令だ』

 麒麟はそう言い、聖獣らしく、霊力で青白く、体が光り輝いた。

 この日、西洋に東洋の女子を派遣する『西洋乙女』が決まるのだった。

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