第二章 『マユと桑子』③

 市電で北東へ、県境の駅で汽車に乗り換え、角之上の港町へ。

 空が曇っており、片頭痛がマユを襲う。

「うぅ……頭が……」

「全く、マユはどうしようもないな……ぼやっとしてると、置いていく」

 そう言う彼の肩に玉之丞が乗っており、乗り物酔いしたのか、いつもの元気はない。

『うへぇ……視界がぐるぐるする……』

「俺の肩で吐いたら殺す……」

 留吉は暴言を吐き、手書きの地図を眺めながら、歩き出す。

 桑子とは指定された喫茶店で待ち合わせ。

 マユの体が本調子ではない事と、彼女が特高警察という事もあり、留吉が付いてくる事になった。

「あっ、留吉待ってよ!」

 そう言い、マユは彼らの後ろ姿を追っかける。

 留吉は近くに建物や道の入り組み具合を見て、どんどん道を進んでいく。

 街並みを見ると、漁業の日雇い労働者が飲食店に入り浸っており、治安は良いとは言えない。

(治安が悪い……スリとか、気を付けないと……)

 マユはそう思いながら、歩いていくと、留吉が急に立ち止まり、広い背中に額をぶつけた。

 待ち合わせの喫茶店の前についたようだが、留吉は明らかに困惑しており、マユは彼の後ろからその場所を覗く。

「えっ?カフェー?」

 そこにはネオンの光る看板に、怪しげな雰囲気、純喫茶ではなく、女給が男性に色気を出し、接待するような店があった。

 留吉はかなり不快そうな表情をし、肩に乗せた玉之丞を掴み、自分のショルダーバッグに入れる。

『ねぇ、何でしまったの?なんで、なんで』

 そう彼は留吉に言うが、勿論無視である。

 二人は警戒しながら中に入ると、薄暗い店内で、女給が男性客に甘え、媚びる声が聞こえた。

「えー、すごい!流石ですー」

「私、お酒弱くってー」

 テーブル席には、ボトルにフルーツの盛り合わせが並び、男性を囲うように女給が席についている。

 彼女らは、パトロンに買わせた装飾品や丈の短いスカートで着飾っていた。

 彼女ら、女給は雇われてはいるが、給料を店から支払われる訳ではない。

 収入は、客からのチップだけ、だから全力で媚び、客とキスをするし、体を摺り寄せる。

 チップの額次第では、個室で二人っきりにもなれるだろうし、添い寝などの休憩もできるという。

(派手な子多いなぁ……おシラを思い出すよ)

 マユが見渡すと、キープされた大量のボトルが棚にあり、そこにいるボーイがカウンター席の客にカクテルを出している。

 後、二階にも席があるようで、奥に階段があり、上から黄色い女給達の声が降ってきた。

 見上げると、落下防止の柵が見え、下からは難しいが、上からは下の様子が丸見えである。

 特高に所属している彼女が選んだ店だ。

 恐らく、出入りしてきた人間も丸分かりで、いつでも戦闘の準備ができる。

「今、店にいる人は、何の仕事をしているんだろうか……」

 昼間だというのにと留吉が呟き、数人の男性客がいる事に頭を傾げていた。

「有給でも取っているんじゃない?それか夜のお仕事か……漁師の町だし……」

マユが言うと、シャツにベストを着たボーイが、営業用の笑顔を向けながら、留吉に話しかけてくる。

「いらっしゃいませ。お客様はどんな女性がお好みで?あらあら、お嬢様をお連れですか?お昼からでも、ヤンチャだというのに、お盛んですねー。もしかしてキャストの追加ですか?数人でも対応できる娘は、あそこのテーブルの子と――痛っ!」

 見渡して紹介までしてくれたというのに、機嫌の悪い留吉は、ボーイの頭に全力のチョップを入れた。その顔はとても冷酷で、この後がとても怖いとマユは震えるのだった。

 すると、二階の席から、聞き覚えのある声が耳に届く。

「マユ!弟君!こっち!」

 マユが見上げ、その方向を確認すると、そこには赤毛に翡翠色の瞳、顔や腕に爬虫類のような鱗がある背の高い女性がいた。

 彼女は洋装だが、動きやすい男のようなズボンにシャツ、カンカン帽といった恰好で、落下防止のフェンスに腕を乗せ、マユ達の様子を微笑ましく眺めている。

 大きな胸を晒で潰せば、男性と見間違えるだろう。

「あっ、桑子!」

 マユは急ぎ足で、階段に向かい、階段を駆け上がった。

 二階のフロアに辿り着くと、彼女は穏やかな顔で、両手を広げ、マユを受け入れようとする。

「久しぶり」

「うん、久しぶり」

 お互い、見た目は変わってしまったが、彼女の陽気さは変わらない。

 マユの瞳が潤み、ボロボロと涙が零れる。

「よく、生きてたね」

「うん……生きてた!」

 そう言い、彼女の元へ向かおうとするが、気が緩んだのが原因で、足がよろめき、後ろに倒れそうになる。

(あっ死んだ……)

 階段側の宙を舞い、走馬灯が高速で脳裏を駆け巡った。

「あっぶね!階段の前で騒ぐな!」

 丁度、追いかけてきた留吉にぶつかり、危機一髪、一命を取り留める。

 桑子との会話は、今までの事、近況報告で、彼女はまあまあ元気にしているらしい。

「最近はどう?体の具合は?」

「うん、ちょっと片手が震えるくらいで済んでいるよ」

 一階はステージがあり、そこで洋装に身を包んだ若者がジャズを奏でている。

 二階はテーブル席が一つと、そのすぐ横に演奏している者達の荷物だろうか、楽器を入れる鞄が乱雑に積まれていた。二階の落下防止フェンスに腕を乗せ、マユと桑子は会話をする。

「ずっと行方不明だったから、死んでしまったと思っていたよ」

 桑子はそう言い、瓶のエールに口を付けた。

「いやぁ、海上から竜の神域に無意識に移動していたらしく、そこをグルグルしていたら、近くの『二間(ふたま)』陸軍の戦車に撃ち落された」

「大変だったね。私は撃ち落された後、海上でプカプカしていて、海軍にすぐ回収された。けれど、おキヌは海底に飛行機ごと沈んで大変だったらしい」

 彼女の話から、キヌは存命という事が分かる。

「マユと会うって話をしたら、おキヌも来たいって言っていたんだけどねー」

「何か用事でも?」

 マユはそう聞くと、彼女は冷めた顔をし、訳を話す。

「いや、海馬殿も来そうだったから、断ったよ。あの人、嫌いじゃないけど、好んで相手したくはないかな……」

 ウキウキでキヌについてくる海馬少将の姿が思い浮かぶ。

「そういえば、おシラは?」

「えっ?」

 桑子が変な声を出した為、マユも同じように変な声が出てしまう。

「えっ?」

 彼女の顔は少し戸惑ったような、言葉を探しているようなそんな顔だった。

 もしかしたら、シラはもう故人なのかもしれない。

「ちょっと!今回そっちから呼び出したのだから、アンタの方の奢りでいいのか?だったら、高いブランデーをボトルで注文するけど!」

 テーブル席の方を見ると、ソファーに留吉が座り、両隣に女給が付いている。

「ねぇ、お兄さん。私たちも貰っていーい?」

「勝手にすれば?俺の金じゃないし」

「たくましい腕、お兄さん、軍人?朝から女の子と来るなんて元気ねー」

 女給にそう言われ、留吉はむっと顔をしかめるものの、二階に待機していたボーイを呼び、高いブランデーとフルーツの盛り合わせを注文する。

すると、留吉の鞄の中から、玉之丞が出てくる。

『僕、チョコレートが食べたい』

 テーブルにダイブするが、少し距離があったようで、天板に両手でしがみつき、宙ぶらりん状態になった。それを見かねた留吉は、玉之丞の体を手で掬い、テーブルに上げる。

「お前は本当に図々しいな……いいか、自分の金じゃないし……チョコレートも追加で」

 ボーイは、かしこまりましたと丁寧に言い、階段を下りていく。

「やだぁ、この子可愛い!」

「ドラゴン、初めて見た!触っていい?」

 女給がそう言い、黄色い声を上げる。

「まぁ、優しくするのなら……自分のじゃないし……」

 留吉がそう呟いた時、先程のボーイが注文したブランデーと、フルーツとチョコレートの盛り合わせを持ってきた。

「可愛いね」

「お名前なんて言うの?」

 玉之丞は少し人見知りなのか、黙り込んでしまった。

 すると、女給が優しく彼を両手で掬うように持ち上げ、彼の背中に口づけする。

『きゅっ――』

「やっと話してくれたわ」

 玉之丞の背中に口紅のキスマークがくっきり付くのだった。

「えー、私もドラゴンちゃんとキスしたい!」

 流石女給、男を虜にする技を持っている。

(その技は、留吉には通じなかったようだけど……)

 マユはそう言いながら、留吉の様子を見ると、彼はブランデーを丸い氷が入ったグラスに注いでいた。

「ねぇ、あの酒大丈夫なの?私、あまり手持ちがないよ……」

「あっ、いいよ。いいよ」

 桑子はそう言い、エールを飲み干した。そして、言う。

「丁度今、タダになるから――」

「えっ?」

 彼女の言葉と自分の耳を疑い、声を漏らすと、店の入り口が勢いよく開く。

「『渡辺 桑子』はいるか!」

 そこには洋装姿の男性数人、ステッキには仕込み刀、捲った袖から露出した腕には紋々。

 見た目から、そっち系で、あまり関わらない方がいい人間だと分かる。

「来たね。凄く撃ちやすい場所だ――君、例の物を」

「はい、桑子主任」

 そう言い、先程留吉にブランデーを持ってきたボーイが、楽器の鞄から取り出したショットガンを渡す。桑子は適当に狙いを定め、一人の頭を撃ち抜いた。

「私は酔っているようだな。半殺しで拷問しようとしたのに悔しい。殺してしまったよ」

 笑っている隣の狂人に、マユは驚き、声を上げる。

「あれは何!何事!」

「特高警察で、この土地で賭博場を開いたんだ。だけれど、先にやーさん達が賭博を開いていたものだから、凄く怒ってさぁ。まぁ、こんな感じで殺しに来るんだ」

 返り討ちにしているけどねと、彼女はショットガンを慣れた手つきでリロードする。

「増援が来るぞ!さあ、お嬢様たち、弟君、お仕事の時間だよ」

「私達のドラゴンちゃん、ちょっと待っていてね」

 そう言われた女給達は特高警察だったらしく、玉之丞にそれぞれキスをし、テーブルの上に置いた。  

 彼女達は積まれた楽器ケースから、セミオート散弾銃を取り出し、優雅に歩く。

 耳に響くハイヒールの音は、とても高貴で、妖艶だ。

「セミオート銃じゃん。ズルいなぁ」

 桑子はそう言うが、彼女らは静かに配置に付き、他のヤクザも撃ち抜くのだった。

 そして、ヤクザを始末した後、彼女達は桑子に言う。

「主任の銃も魔改造されて、火力が高いでしょう?」

「おあいこですわ」

 急な銃撃戦にマユは戸惑い、留吉の方を見るが、彼は呑気にブランデーを飲んでいる。

 酔っているのか、耳の先がほんのり赤くなっていた。

「主任からです。お兄さんにはこれがいいと聞いていたので、勝手ながら用意させていただきました」

 ボーイの彼が渡してきたのは、柄の長い斧で、桑子は彼の趣味を理解しているつもりらしい。

「俺は戦わないぞ」

「手伝ってくれるのなら、店の酒、全部飲んでもいいよ。安いやつも、高いやつも」

 そう桑子に言われ、彼は用意された斧を手に取る。

「ここにいる特高に伝えておけ、酒はキープボトルも含めて、俺のものだから割るなよって」

 彼は桑子にそう言い、二階から勢いよく飛び降りる。

 留吉がヤクザを斧で始末している時、酔っているからか、変な感覚に襲われた。

 彼はこのシチュエーションを、前にも体験しているような気がする。

(昔、こんな事あったような……夢の中での出来事だろうか……)

 デジャブかなと一瞬思ったが、正真正銘、彼の記憶。現実の出来事である。

(あー、あの事と少し似ているから今思い出したのか……)

 留吉は、約五年前の出来事を思い出した。

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