宮司が屋台から焼き鳥を受け取り、モグモグと食べていると、テーブル席のほうで、エールの瓶に口を付けた桑子と、蕎麦を食べているキヌの姿が見える。
「二人とも、マユさんは?」
宮司は団らんしている二人に声をかけた。
「んー?旦那様がお仕事頼んでいたから、お仕事なんじゃない?」
「そっかー」
キヌに宮司がそう返事すると、桑子が開けてないエールを彼に渡す。
「確かに少し遅い気もするなぁ」
「私、見てくる。お手洗いのついでに」
桑子は自分の腕時計で時間を確認し、呟くとキヌは紙ナプキンで、口を拭い、その場を離れ、海軍基地の方に歩いて行った。
桑子は宮司と他愛のない話をしながら、キヌの帰りを待つ。
数十分待っただろうか、時計を一瞬見て、再び宮司の様子を窺う。
彼は桑子が何者なのか分かっていないようで、警戒心の無い顔で、話しかけてきた。
「これから渡辺さんはどうするの?」
「何が?」
「終戦したから、西洋乙女は解散だからさ。ほら渡辺さん、最初の書類書いた時、実家の連絡先欄、空白だったから、これから、行く場所あるのかなって?」
桑子は特高警察の潜入調査の為、そこは空欄にしていただけなのだが、宮司はそれを心配していた。
(孤児出身とかだと思っているのかなぁ……)
それが宮司の良い所だと思うが、今の桑子にそれは少し鬱陶しい。
「もし行く所が無いのなら、海馬さんの家にお世話になったら?」
「絶対、嫌だ」
「何が、嫌なのかなぁ」
桑子はそれに即答すると、後ろから男性の腕が伸びてきて、顎と頭に組み付く。
「言ってごらん」
桑子は組み付かれ、振り向けないが、声だけで誰か分かる。
「海馬大尉――殿」
すると、彼は正解と言い、桑子の頭部を開放した。
桑子が彼の方を見ると、佐市は、弟の『沙十字』とおり、二人とも書類を持っている。
「何です?その書類は?」
「アンケートだよ。空軍の少将が配ってくれって――」
桑子はそう言われ、用紙を受け取り、目を通す。
【在留思念は存在すると思うか?】【人工的に神は作れると思うか?】
【神と霊が混ざった時、それは神と見るか、霊と見るか、もしくは――】
【それ以外の何かと見るか?】
桑子はそれを見て、言葉を詰まらせていると、佐市がその書類をテーブルに置き、桑子が口を付けたエールの瓶を手にする。
「あの人が考えている事なんて分からないし、知ろうとも思わないね」
そう言った佐市は、エールを飲み干すと、桑子が明らかに嫌な顔をした。
「はいはい、ごめんねー」
佐市が子供をあやすように、桑子の頬に接吻し、頭を撫でる。
「あの、そろそろ。渡辺さんがストレスで死にそうなので、解放して下さい」
桑子はただでさえ苦手なタイプの男性に絡まれ、接吻され、頭を撫でられるという、それが侮辱されたように感じ、震えが止まらない。佐市本人には、悪意が無いが、質が悪い。
「私はキヌを探しに行く!もう、アンタなんて知らない!」
桑子はすっかり酔いが醒め、ズカズカと基地へ歩き出す。
それを見送った宮司、佐市、沙十字だったが、その中の佐市が言葉を出す。
「ねっ?絶対、俺の事好きだよね?」
「ノーコメントで」
沙十字がそう言い、上着から煙草を取り出し、マッチで火をつけた。
*
海軍基地の医療室は暗く、雨漏りしているのだろうか、それとも蛇口がちゃんとしまっていないのだろうか、水滴が落ちる音が何所かから聞こえる。
火鉢は炊いているが、患者が吐く息の方が温かい。
鎮静剤の効果が切れたのだろうか、一人の西洋乙女は目を覚ましてしまった。
縫い付けてある仲間の片足がむず痒く、両手両足が、拘束具でベッドに付けられている為、掻く事もできない。
「衛星さん――あの子の足が――」
彼女は声を出すが、誰もいない。
(衛生兵は何所へ行ったのだろうか……)
そう思いながら、足の指を丸めたり開いたりしていると、自然と痒みが収まっていく。
暗闇に目が慣れ始めた時、医療室の扉が開き、そこに誰かが入ってくる。
月明りや火鉢の光もあったからだろう。その人物が誰なのか、彼女は分かり、自分のベッドの近くまで来た時、話しかけた。
すると、その人物は穏やかに話をし始め、自然と彼女の顔に微かに余裕が現れる。
「人が死んだらどうなると思う?」
そう彼女がその人物に声をかけると、拘束具に手をかけ、手馴れた手付きで外していった。
「そうですね。死んだら、天国があって、神様が救いの手を差し伸べてくれるんですよ」
「それは――楽しみだ――楽しみだね……」
長い拘束からか、手は痩せ、骨が浮いている。その手をその人物へ伸ばすのだった。
「おシラ」
シラは彼女にニッコリと微笑み、その手を自身の両手で取り、優しく握る。
同時に彼女の背後から、吸盤のある触手が伸び、彼女の体に絡みつき、口の中にそれが侵入する。
「本当に楽しみですね」
シラがそう呟くと、骨を折る音がその場に響く。
そして、その音が目の前の人物だけではなく、その部屋のあらゆる所から聞こえ始める。
(君たちは天国には行けない。魂は悪魔に食べられてしまうのだから……)
シラがつまらなそうな顔をし、扉を開け、外に出ると、見覚えのある人物と出くわす。
「キヌ」
「シラちゃん。これ――」
そこには将校たちの死体が転がっていた。腕や足があらゆる方向に曲がり、悪魔に弄ばれ、捥げ、裂けてしまった者もいる。
「は、早く。蘇生させないと!旦那様達を呼んできて!」
ランタンを地面に置き、座り込み蘇生を試みる彼女は、とても尊い。
「今、蘇生しますからね!大丈夫ですからね!」
シラは死体に話かけるキヌに苛立ちを覚え、体に力が入る。
食いしばった事で奥歯が鳴り、瞳孔が開き、キヌの姿を映すのだった。
*
傷の修復作業が終わり、マユは一息つく。
「休憩しようかなー」
「お前は何もしてないだろう」
彼は手拭いで顔を拭き、床に胡坐を掻き座る。
「これからどうするんだ?仕事復帰するのか?」
久が話しかけてきた為、マユは彼の隣に座り、返事を返す。
「特に決めてないけど……もう、飛行機には乗らないかもな……戦争を思い出すからさ……」
戦死したり、気を病み自ら命を絶った西洋乙女の事、撃ち落した竜達の事。
「私だけが幸せな生活をする訳にはいかないよ」
マユはそう言い、頬を掻く。誤魔化し笑いをするが、久はマユの肩を両手で勢いよく置く。
「駄目だ!」
久の表情は必死そうで、マユは驚き声が出ない。
「嫌な過去から逃げたら、一生付きまとわれる人生になる!」
その場はシンと静まり返り、そこで久は変な雰囲気になったと察する。
「あっ、大声出してすまん。お前は飛行機が好きなんだから、一生乗り続けろよ」
「と言われても……」
「じゃあ、その飛行機、俺が買ってやる。好きにカスタムしてもいいぞ」
とは言うものの、久の案にマユが乗るとは思わなかった。
だが、マユの方はそれを真に受け、先程とは正反対の嬉しそうな表情で、言葉を発する。
「えっ!マジで!」
「あっ、うん――好きにしていいぞ」
久はマユの行動パターンがよく分かっておらず、困惑しながら嬉しそうに立ち上がり、パーツや塗料が入っている棚に向かう。
(女ってよく分からないな……悟は、よくコミュニケーション取れていたもんだ……)
【久が自分と一緒にいてくれるのなら、その機体あげるけど】
それと同時に、四島少将の事が頭を過るが、考えないようにする。
(普通に買い取ろう……)
すると、塗料数色と混ぜる用のバケツと刷毛をマユが嬉しそうに持ってきて、バケツに勢いよく塗料を入れていく。緑色の塗料に、青、黄色をドバドバと入れるマユに言う。
「お前、本当にその色でいいんか!後戻りできないぞ!」
マユは久を無視し、刷毛で混ぜる。すると、部屋の扉が開き、見覚えのある顔が見えた。
「あっ、桑子」
「あぁ、キヌを探していて……来ていないかなって……って何混ぜているの?」
塗料を混ぜるその様子は、魔女が薬の調合をするようであったという。
マユが塗料を混ぜている時と同時刻、暗い廊下を四島と浩三は渡る。四島が浩三の耳を引っ張り、耳がもげないように歩幅を合わせている光景は、すれ違った将校達を笑顔にさせた。
「痛いって!」
「お前はいつも何かをやらかす!海軍学校の時からだ!」
二人の息は白く、窓には霜が付いていた。すると、浩三が持っている上着から蚕の一匹が落ち、窓が気になったのか、枠に上り、張り付いた。
「ちょっと、蚕ちゃんが」
そう言い、手を離して貰った浩三が赤らんだ耳を押さえながら、蚕を回収する。
「あっ、窓が少し開いてる」
そう言い、浩三が窓を開けると、月が見え、心地よさそうに蚕は翼をパタパタ動かす。
「綺麗だねー。月、綺麗だから、こっち来てよ」
「月ぐらい、いつでも見られるだろうが――」
四島がそう言いながらも、窓を覗く。すると、一機、飛んでいる飛行機が見えた。
「飛行機が見えるねー、綺麗でちゅねー。蚕ちゃんは飛べないもんねー」
羽をパタパタさせている蚕に赤ちゃん言葉で話しかける浩三だったが、四島のほうは不振に思い、言葉を漏らす。
「あれは――コクーン?」
すると、基地内の警報が鳴り、基地内放送が流れる。
【四島少将、海馬少将、緊急です。至急、医療室前まで来てください】
放送で呼ばれた為、四島は急ぎ足で向かうのだが、浩三は急ぐ事はなく、マイペースに歩く。
「早く!」
「だって、今日の靴。良い靴なんだもの、お気に入り」
四島は苛立った様子で、そう言う浩三を急かした。四島と浩三が現場に辿り着くと、そこには数人の将校と、佐市、沙十字の姿がある。数個のランタンが置かれ、その場が明るく照らされており、地面や壁に飛び散った血痕まではっきり見えた。
「あららー、派手にやったもんだねー」
浩三は能天気そうにそう言い、凍えた手を吐く息で温める。
「四島少将。とりあえず、蘇生できそうな者は、我々で処理をしておきました。治癒呪文で、回復できそうな者は進めようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「それで進めることにしよう」
沙十字は無表情のまま、四島に話しかけ、許可を取り、部下へ指示を出す。
「父上、その靴は?」
「営内靴、借りちゃった」
その一方で、浩三と佐市はそんな会話をしていた。
それを見た沙十字は顔を歪ませ、四島に話をしながら、医療室の中に案内する。
「本題は、医療室内の中の乙女達なんです」
電球は壊されているのか、点かず。
霊術で用意した照明代わりの発光体が、シャボン玉のように宙に浮き、部屋を照らす。
「今、呪詛に詳しいものが様子を確認しているのですが、見た事がない状態で……」
ベッドの上に死体があり、どれも体が炭化しており、歯や爪の先まで真っ黒だ。
四島は周囲を見渡し、他の死体にも目を向けるが、どれも同じである。
「あっ、宮司少尉。どうですか?見た感じだと」
「あー、これはもう。駄目ですね」
陸軍の制服を着た宮司は、浮いており、目立つ。
「ここにある冷蔵室の死体も同じ状態です。後、外にいた衛生兵と見張りを蘇生し、話を聞きましたが、西洋乙女の『シラ』という女性にやられたと――」
「外の死体は炭化してないのか、という事は物理的に始末されたか。情けない」
すると、外にいた浩三が扉から顔を出し、声を出した。
「おそらく、北洋の霊術だろう。医療所を囲うように印が地面や壁に書かれてある」
四島は部屋から出て、浩三が指差した箇所を見ると、確かに呪文のようなものが書かれていた。それを見て四島と浩三が話をする。
「工作員か?」
「何が目的なのだろう。今回は西洋人と竜の喧嘩。北洋人は関係ないのにさ」
浩三は煙草に火をつけ、吸う。
「戦争は五十年前の話。俺が赤ちゃんの頃だから、昔話だよ」
煙草の煙が潮風で流れた時、基地内の警報がけたたましく鳴り響いた。
まるで地震で地面が揺れた時のような衝撃が、その基地にいた皆の体に伝わる。
「何だ!何が起こった!」
すると、海軍の将校が走ってきて、警報の内容を口頭で伝えた。
「北栄基地から北西、経済水域に、詳細不明の空母が侵入」
「「は?」」
その瞬間、四島と浩三の顔から表情が消える。
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