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バイクの3乗

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 誰かが廊下の窓を気紛れで開けた。

 そこから初夏らしいカラリとした風が入り込み、女子生徒のスカートを微かに揺らす。

 すると強めの風が入ってきたようで、一人のスカートが捲れた。

「なんだ、見せパンかよ。期待して損した」

 男子生徒がそう言い、その流れで傍にいた仲間と雑談をし始めた。

 その時丁度、廊下を歩いていた一人の男子生徒とぶつかる。

 その男子は、身長は高いが、大人しい雰囲気を纏っていた。

「いてっ!お前、ちゃんと前見て歩け!」

 そう言い掴みかかろうとする男子を、傍にいた仲間が止める。

「ほら、コイツ。先生が言っていた……」

「あぁ、そういえば……」

 そう仲間に言われた男子は、思い出したかのように言葉を漏らす。

 そして、先程の態度から掌を返したような言葉を口にした。

「ごめん。俺も話に夢中で見てなかった」

 少年『光圀 裕(みつくに ゆう)』はそれを凄く疎ましく感じ、顔を背けた。

(嫌いだ。小さな世界で、自分が大きい存在だと思っている奴は――)

「また、クラスに顔出してよ。俺達も待っているからさ」

(良い人間を演じている奴も嫌いだ――)

 次第にそのクラスメイト達の顔はぼやけ、光圀は認識できなくなる。

 男子生徒の言葉もそうだ。

 周りの雑音と混ざっていき、耳に届かなくなった。

 一方その頃、職員室の席で、男性教員が自身のマグカップにコーヒーを注ぐ。

(そろそろかな……)

 机に置かれた時計をちらりと見てそう思った。その時、思いきり職員室の扉が開く。

「先生!鈴村先生!」

 そう言いながら、一人の男子生徒がズカズカと教師の元にやってくるのだった。

 涼しげな一重、黒炭のような漆黒の髪、校則違反であるピアスを耳にしており、手には、深い青色のフルファイスヘルメット。

 彼『河合 作(かわい さく)』は教師の目の前に来ると、自身のヘルメットを机に置いた。

 マグが揺れ、倒れそうになるのを、教師『鈴村』が慌てて手で押さえる。

「先生、いい加減バイクの鍵、預かるのやめてくれない?」

「それは出来ないな。お前はバイクとその免許を持っているけど、他は持ってない。という事は鍵を誰かが盗んで、バイクを運転してしまえば、大変な事になるだろう」

 鈴村は困ったように言い、マグのフチを指でなぞる。

「でもさ!それは先生の言い分じゃん!毎日、教室から職員室に来て、鍵の受け渡しするの、かなり面倒なの!分かる!?」

 そう言う河合は、不満そうな顔をしていた。

「俺もバイク通勤だから、河合の気持ちも理解しているつもりだが、こればっかりはな」

 鈴村はそう言い、マグに口を付ける。

「というか、そもそもうちはバイク通学どころか、免許取得も校則違反なんだが……」

「だから、許可取った。理事長の息子に。ていうか、アイツと教習所通ったし」

「河合、そういう所直さんと彼女できんぞ」

 職員室に風が微かに入り、目隠し用の透明なカーテンを揺らした。

(学校なんて来なきゃよかった。最近、家族以外の人間と話をすると、心の中の何かがゴリっと削れるようだ……)

 胸を押さえながら、駐輪場に向かう光圀。

(えっと、自分の自転車は、っと……)

 駐輪所に辿り着き、光圀は辺りを見渡した。

だが見渡してもそれらしい、自転車の姿がない。

「あれ?どこにも無いな」

 声を漏らし、記憶を辿りながら停車した辺りに向かう。

 すると、真っ先に目に入ったのは、青い車体のバイクだった。

 馬のエンブレムが特徴で、まるで特撮ヒーローが跨ってそうな印象を受ける。

「あぁ、このバイクの影になっていて気がつかなかったのか」

 光圀は溜息を吐き、自転車の鍵を取り出そうと思い、自身のズボンのポケットを探る。

「ん?」

 光圀の表情が少しずつ青くなっていく。

「え、嘘?鍵が無い!もしかして、何所かに落とした!?」

 服のあらゆるポケットを探るが、何所にも無い。

「ど、どこで最後見たかな……」

 光圀は最後、何処で鍵を見たか、必死で記憶を探る。

(最後、見たのは確か……)

 光圀が混乱していると、そのタイミングで、それの持ち主である河合がやってきた。

「全く、教師ってやつは頭が固いよな。鍵を盗んでもヘルメットが無ければ公共の道路を走れないんだから、盗まないだろうに」

 そうぶつくさ言いながら、少々不機嫌そうに歩く。

 すると、河合の瞳に驚きの光景が写った。

 初対面の男子生徒が自分の愛車に跨っていたのだ。まぁ、光圀である。

「あっ――その、えっと――」

 彼は河合に気がつくと、申し訳なさそうに声を出した。

「驚いた。ヘルメットも鍵も無いのに、盗もうとする奴がいるとは」

 河合も声を漏らした。

 光圀は慌てて、バイクから降りて初対面の河合に、謝罪し、事情を説明した。

 すると、河合も何となくだが、話を分かってくれたようで、なるほどと口にした。

「無くした鍵を最後に見たのはここで、奥に転がってないか確認する為に乗っかったと」

 河合はそう光圀に訊ねる。

「なんか無理やり自分の自転車を動かすと、隣のバイクを傷つけそうで……」

 すると、河合は手慣れた手付きでバイクを動かし、駐輪場から車体を出す。

「あった?」

「えっ、えっと……」

 光圀が開いた場所から覗き込むが、鍵らしき物は無い。

(どうしよう。凄く、気まずい。わざわざよけてもらってる訳だから何か奢るべき?)

 そう思いながら、ブツブツと呟く光圀。

 それを河合が不思議そうな顔で眺めた後、何か思いついたように声を出した。

「そうだ、お前もバイク乗ってみるか?」

「えっ?」

「ちょっと、待ってて。先生にヘルメット借りてくるわ」

 そう言うと、河合は校舎の方向に走り出す。

 すると、途中で何かを思い出したように振り向き、光圀に自己紹介をする。

「俺は『河合 作』二年四組だ」

 そして自己紹介を終えると、また再び走り出した。ポツンと残された光圀はただ、呆然と彼の背中を見ていた。

 職員室で鈴村はコーヒーを飲むながら、プリントの丸つけをしていた。赤ペンで丸をしようとしている途中で入り口の扉が開き、河合が大声を出す。

「鈴村先生!」

 反射で思い切り、ペンが逸れ、レ点のような線を引いてしまった。鈴村は「あちゃー」と声を漏らすが、彼はお構いなしだった。

「先生!ヘルメット貸して!」

「お前、今度は一体、何を企んでるんだ」

 瞬時にそう思われるのは、河合の日頃の行いからである。

 しばらく経つと、駐輪場に機嫌よく、戻ってくる河合。

 そして、借りてきたヘルメットを光圀に渡した。河合は自分のヘルメットを被り、鍵を回しエンジンをかけた。サイドスタンドを蹴り、車体に跨ると、光圀に合図をする。

 光圀はどうすればいいのか分からないものの、とりあえずヘルメットを被り、スクールバックをリュックのように背負う。

 そして、後ろの部分に跨ると、バイクのエンジンの振動が全身に伝わるのだった。

(凄く変な感じだ……)

 そう思いながら、河合の腹に両手を回し、自身の体を預ける。

 すると、彼は困ったような声で言った。

「悪いんだけど、後ろに掴む所があるから、そこ持ってくれる?」

 そういう事らしい。

「ご、ごめんね。何も分からなくて……」

 気まずさが少し残っているものの問題なく、河合のバイクは発進し、校門から道路に抜けていく。

(どうしよう。もう帰りたい……)

 光圀はそう思っていた。

 それもそのはず、明るかった空は少しずつ暗くなり、周りの車や今自分が乗っているバイクですらライトを付けている状態。

(多分、何時間も乗ってる……)

 しかも、河合は運転に集中しているのか、全く話はしない。

(お尻も背中も痛いし、正直トイレにも行きたい……ていうか、もしかしてお金を払わないと降ろしてくれない、カツアゲ的な?)

 そう思い始め、財布に入っている現金の事を考えていると、そのタイミングで信号が赤になり、バイクが停止する。

 そして、河合がやっと声を出した。

「よし、道も空いてきたし、スピード出す」

 ヘルメットのワイヤレスイヤホンから聞こえる彼の声は、まだ体力を持て余しているようでもあった。

「えっ?」

 信号が青に変わり、バイクが発進すると、彼はギアを上げた。

 そして、左折とほぼ同時に加速する。車体と二人の体が必然的に斜めになり、光圀の体を支えている掌と太腿に自然と力が入った。

「ちょっと、河合君!怖い、怖いって!」

 そう言う光圀だが、案の定その声は彼に届かない。

(あっ、僕死んだ……)

 光圀はそう思った。すると、微かに走馬灯のようなものが頭を過った。

 自分は一年生で、教室と親しい友人と一緒にいた。

 ただ、二年生に上がり、クラス替えで皆バラバラのクラスになった。

 新しいクラスに馴染めず、いつも一人。

(だから皆のクラスを見に行ったんだ。だけど、みんな新しい友達が出来ていた)

 一年間築いた友情や思い出が、最初から無かったように。

(僕だけが皆と違っていたのかなぁ……)

 自分なんて、いなくても誰も――

 すると、光圀の左足が道路に着くかのスレスレの所で、強いエンジン音が体に響き、車体が起き上がる。体がいきなり起き上がった事で、正気に戻り、意識がはっきりする。

 そして、現実で見た風景は。

 起き上がった車体から見えたのは。

 長くて真っ直ぐな道路だった。

 河合はアクセルを回し、スピードのメーターがどんどん上がっていく。

 周りの夜景が灯っている光が、高速で風と一緒に通り抜けていく。

 次の信号が青から変わる前に通り過ぎ、スピードを下げる事も無く、走り抜けていく。

 光圀は感じていた。

 心にかかっていた霧を、風とエンジン音が吹き飛ばしていくような感覚。

 自分の肺や心臓がその空気を取り込み、モーターのように、熱を発するような、爽快さを。

 河合は古く寂れたラーメン屋の駐車場に、愛車を停める。彼がヘルメットに手をかけた時、光圀は車体から降りた。

 そして、ヘルメットを外し、思いっきり、空気を吸う。

(生きてる……)

 変な感じだ。歩いた時の靴の感触がとても愛おしい。

 思いっきり背伸びをするが、中盤で感じていた背中の痛みや疲れは、あまり感じない。

 そんな光圀を横目に、河合はエンジンを切り、バイクのサイドスタンドを立てた。

「ただいま」

 ラーメン屋の暖簾を潜り、中に入っていく河合。光圀はそれを呆然とした様子で見ていると、河合は手招きをし、中に入れた。

「作!今日の店番、アンタだったでしょ!」

 そこには自分達と同じくらいの年齢の女子がいた。一言で言えば、スレンダーの綺麗系で、光圀の心臓が少し跳ねた。

(美人さんだ……)

 瞼は一重であるものの、それを感じさせないくらい瞳は大きい。

 その女子に、河合は面倒くさそうな顔をしながら、適当な返事をする。

「お前のエストレヤ、俺のバリオス2と一緒に洗車するから許せよ」

 そう言い、河合はカウンター席に座る。

「まぁ、それなら――」

「ラーメン二つな」

「おい!話、聞かんかい!」

 女子が言いかけるとそれを聞かずに、オーダーする河合。

 それを呆然と見ている光圀だったが、河合が気づき、隣のカウンター席をポンポンと叩く。

「作が奢るから、君もこっちに座りなよ」

 その女子はそう言い微笑んだ。

 光圀は照れながら河合の隣に座る。

「えっと、お二人はどんな関係ですか?」

 顔はあまり似ていないから、幼馴染なのか、それとも従兄弟とかなのか。

 そう思う光圀だったが、話を聞くと兄弟らしい。

「お父さん似とお母さん似で、きっかり遺伝子が別れたみたいでさ」

 河合がそう話すと、ラーメンが出来上がり、目の前に置かれた。

 醤油ベースのスープにちぢれ麺、そして。

(ラーメンにお麩が入ってる……)

 何故か入っているお麩に戸惑いながらも、レンゲでスープに沈める光圀。

 スープが沁み込みながらも、お麩はプカリと浮く。

 麺を箸で掴み、口に運ぶと、出汁と醤油の味と風味が鼻を抜ける。

(美味しい。久しぶりに食べ物で感動した)

勢いよくラーメンを啜る光圀に、河合は声をかけた。

「あのさあ」

 急に声をかけられた光圀は驚き、咽る。

「げほ、ごほ――」

 光圀が咽ているというのに、河合はお構いなしの様子で、話を続けた。

「何で、お前学校に来ないの?」

「――知ってたんだ、その事」

 喉のダメージを誤魔化しながら、受け答えをする光圀。河合は浮かない顔で言う。

「職員室に行った時に、先生から聞いた」

「そうなんだ……先生も、よく僕だって分かったね」

 河合が話をしている鈴村は、自分の担任ではなく、どうして分かったのか、光圀には見当がつかなかった。

「幸が薄い癖に、背だけがある二年生って教えたら、すぐ分かったぞ」

「あっ……僕の印象、そんな感じ……」

 傷つくなぁと光圀は思っていると、河合はラーメンを啜りながら言う。

「で、お前。なんか、悩んでたりすんの?」

「えっと、まぁ。友達とか、勉強とか……」

「俺は悩んだことなんて、一切ないから分からないけどな。ほら、ゆで卵やるよ」

(そうだろうな……この性格なら……)

 光圀はそう思う。

 河合は光圀に気にせず、ポンとレンゲで掬った煮卵を、隣の器の中に入れる。

「俺は自分のバリオス2でさ。好きな時に好きな場所に行ければ、人生それでいいけど」

「河合君……」

 光圀は声を漏らす。

 光圀は少し感動した。

 この言葉はきっと彼なりの励ましなのだろう。こんな悠々とした生き方が出来たなら、きっと人生は楽しいだろう。

 じーんとしている光圀に、河合は話をした。相変わらず、能天気な様子だ。

「因みに何か忘れている気がするけど、思い出せないから、別にいいかなって思ってる」

「僕も何か忘れている気がする」

 光圀も少し思い当たり、少し考えるがそれが何だったのかが思い出せない。

「「でも、それでもいいか!」」

 河合と光圀は、そう口を揃えて言った。

「僕もバイクの免許取ろうかな……」

 そう光圀が声を漏らすと、河合兄弟は二人揃って瞳をキラキラと輝かせた。

「俺、部屋からバイク雑誌と、カタログ持ってくる!」

 彼はそう言うと席を立つ。彼の席の丼ぶりはもう既に空で、微かに醤油ベースのスープが残っているだけだった。

 真っ暗な学校の職員室。自分の携帯で、机を照らし、生徒の帰りを待っている教員がいた。

するとそこに、懐中電灯を持った警備員がやって来る。

「先生、そろそろ鍵を閉めたいので、帰ってもらっていいですか?」

「いや!後、10分だけ待って貰ってもいいですか!10分だけ!」

 大人げない事を言い、生徒を待つ鈴村がいた。

 河合と光圀は次の日、こっぴどく叱られた。

ペコペコと謝る光圀の横で、河合はうまく聞き流していたという。

『バイクの3乗』終わり 

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