第三章 『マユと蛹』②

 255年 睦月。

 本日、撃ち落した西洋竜は黒い鱗の個体だった。黒い竜は東洋でも、縁起が良くないと言われているらしい。だが、艶のある鱗はとても美しく、敵だが惚れ惚れした。

(強かった……死ぬかもって思った……)

 マユが安堵していると、飛行機内の無線が鳴り、声が機内に響く。

 ――ピピピ。

【こちら、海軍基地○○番。空母有馬に西洋竜が乱入――有馬のシウスで撃退。飛行中のパイロットは、有馬ではなく、基地のほうに着陸するよう――】

 それは久の声で、淡々としている。

 海上には流氷が見え、強い日差しが照り返している。吐く息は白く、露出している肌は夏じゃないというのに日焼けし、それを冷たい風が容赦なく撫でた。

「今日も晴れていていいね。月が出るかな?コクーンから見えるかな?」

「早く整備しないと、夜戦に間に合わないよ……」

 飛行甲板の上で、夜戦担当の女子が、戦闘機の整備をしていた時、一匹の西洋竜が空母に向かってきて、飛行甲板に滑るように止まる。

「えっ?」

 一瞬で、戦闘機は潰れ、その場にいた女子はひき殺された。

「あっ、ああ――」

 その光景を見ていた整備兵は、生きている者を助けようと飛び出すが、それも虚しく、鋭利な爪の攻撃を受け、一瞬で人の形が無くなるのだった。そして、骨、筋肉、内臓が裂け、皮一枚で繋がっているそれを爪で器用に掴み、蛇のように飲み込んだ。

「シウス、発砲!注意!」

 海軍の誰かがそう叫び、空母に備え付けられた機関砲が、けたたましく鳴り、その西洋竜を蜂の巣状態にした。

「蘇生できそうな者は医療室に運ぶように!」

「飛行機の燃料に引火している!消火器!いや、バケツに海水入れてきてくれ!」

 それから戦える西洋乙女は、数人まで減った。

「痛い――痛いよぉ――」

 死体の状態が比較的よい物は、衛生兵から蘇生処理を受ける。

 終戦まで蘇生させず、冷凍室で保管し、終戦し故郷に戻ったら蘇生。

 それが最善だと思われていたが、季節外れの猛暑と死体が思ったよりも多く、冷蔵室がもう使用できないという事があり、部位が足りない状態、痛みがある状態での蘇生になった。

「痛い――痛い――」

「鎮痛剤打つからねー。頑張ってねー」

 血や脂肪があれば小さい部位なら作れるし、傷も塞ぐことができる。

 だが、血や脂肪と採取していても、失った腕や足は作成には足りず、蘇生できないと判断された仲間の死体から拝借し、縫い付けることになった。

「縫合した足を切り落としてよ!あの子が!足が無いと困るって!私に言うんだ!」

 体を拘束され、ベッドから離れないようにしている女子がそう言う。

「落ち着いて――ねっ?深呼吸して――」

「彼女の魂が!私の魂に――」

 医療用のワンピースを着たキヌが、ベッドの上で叫ぶ女子を慰めるが、彼女は発狂しており、理性的に話しても落ち着かない。

「また、不安になっているの?うんうん、分かる。分かるよー」

 医療室にいた宮司は、発狂し叫んでいる彼女を見て、棚から小瓶と注射器を取り出す。

「何、それ――私に変なのを打つなぁぁぁ!」

 注射を宮司に打たれた彼女の意識は、一瞬で夢の中に入り込んだ。

「鎮静剤も沢山用意しないとな……予算降りるか、海馬さんに相談しないと……」

 宮司は困った顔をし、使用済みの注射器を銀色のトレーの上に置く。海軍基地の医療室は、怪我人で溢れかえった。死体から体を貰った者、それを見ていた医療班、雑用班も病み、海に身を投げる者が出始めた。コクーンも三機に減った。もう、こちらも、戦力も精神も体力も全部失っている。

 そんなある日、急にその日がやってきた。

 食堂で朝食を摂る。卵焼き、山菜が入った味噌汁、海苔に、米、マユ達はそれが好物な気がした。冗談が好きだった桑子も、お喋りだったキヌも、男を口説くのが趣味だったシラも、口数が減り、それぞれ死ぬ覚悟ができた時、空母の所有者である佐市大尉が食堂の扉を勢いよく開け、その場にいた乙女達に言った。

「終戦や!終戦したんやねんで!」

 佐市大尉はカッコつけたがり屋で、方言を滅多に使わないのだが、この時ばかりは、それが出ていた。それくらい、大きい出来事で、やっと地獄から解放されるとそう皆が思う。

 ただ、喜ぶ事が出来ないくらい、心も体も疲弊していた。

 味噌汁の器を抱えたまま気絶し、椅子ごと後ろに倒れる乙女もいたくらいだ。

「よかった……帰れるんだ……」

 そんな中で、キヌは小さな声で呟いた。

 キヌの隣にいたシラは彼女の方を見ながら、味噌汁を啜る。

【海軍に自分入ったんですけどねー。船酔いが酷くて後悔したんですよー。航海だけにね】

 ラジオから流れる芸人のコントに、桑子はケラケラ笑う。

「主任だけですよ。こんなしょうもないギャグで笑うのは――」

「本当にな」

 賭博場の応接室で、竜二人とマユが来るのを待っていた。すると、店でバーテンダーをしていた特高が訪ねてきたマユを桑子のほうに案内し、扉を開け、中に通した。マユが彼女らの巣に辿り着く頃には、日が傾いており、夕焼けの光が窓から差し、部屋を橙色に染めていた。

「あっ、マユ。寝坊したんだって?」

 桑子はそう言い、マユの方に視線を向けると、何故か彼女は頭から肩まで濡れていた。

「夕立にでも当たった?」

「いや――」

 玉之丞は申し訳なさそうに、マユの鞄から顔を出していた。

「とりあえず、シャワー室まで案内しよう……」

「別に臭い訳ではないけど……ちょっとね……」

 マユはここに来るまでに頭や顔を洗ったのだが、嗅覚の鋭い彼らにはバレバレのようで、シャワー室に案内される。シャワーを済ませ、桑子の服を渡されるが、体格が違いすぎて、袖は余り、タイトスカートはフックを引っかけても落ちてしまうくらいだった。

「もう安全ピンで止めよう……」

 胸もお尻も無いマユは、死んだ瞳で、タイトスカートを持参した安全ピンで止める。

 玉之丞はタオルに包まれ、心地良さそうに目を細めていた。タオルに包まった玉之丞を抱えながら、シャワールームの前に待機していた桑子に声をかけ、二人で移動する。

「最近、違法賭博が多くなってきたから、政府が公式の賭博場を作ったんだ」

 確かにマユが彼女と再会した日、賭博場を作った事でヤクザと喧嘩していると話していた。

「賭博?競馬とかするの?」

「見てのお楽しみって事で」

 マユと桑子がそんな会話をしながら、事務所になっている個所から出て、賭博場に入る。

「なんか、野球場を思い出すなぁ」

 流石政府が作った賭博施設。予算高めで作られたようで、二回には会場が見える大きな窓、それを座って見られるような長椅子、奥には食堂、外に屋台もあり、一日中居ても、不自由はないだろう。

「仮眠室、シャワー室も設備。VIP席には女給も置いているよ」

 勝ってもぎ取った金は、うちで使ってもらうという考え方らしい。

「他の賭博場に行くのを防ぐ為だよ」

(来たら最後、一生家に帰す気がなさそうだ……)

 そう思ったマユが大きな窓の前に移動し、外を見ると、室内と同じような長い椅子が大量に設置されていて、西洋のコロシアムのようだと印象付ける。

 そして中央には、ステージと、それを囲むような大きな水面があり、マユは目を見開いた。

 海上飛行機が数機、海上に停めてあり、波で微かにユラユラと揺れている。

「パイロットの一人が怪我をして入院しているんだ。その補欠を頼みたい」

 桑子は説明をする。どうやら、竜と水上飛行機が戦い、その勝敗を賭博しているらしい。

「西洋乙女とは違って、ペイント弾だよ。色が付くやつ。ブルーライトに当てると、光るんだ」

 試合後に竜に付いたペイントの面積を図り、勝敗を決めるというが、マユはそれに疑問が生まれる。

「人間側が勝つ条件は分かったよ。竜が勝つ条件は?」

「制限時間が終わって、ペイント判定して、10パーセント以内だった場合、彼らの勝ちだ」

 桑子がそう言うと、二人の竜人がやってきて、自分達の方にやってきた。

「ゲロ落としてきたか?」

 蒼尾は無表情で言い、相変わらず素っ気ない態度だ。

「マユちゃん、いい匂いになった?」

 ロビンソンはそう言うと、マユの髪の匂いを嗅ぐ。

 すると、包まれたタオルから玉之丞が出てきて、その間に体を割り込ませた。

「おー、邪魔するねぇ。じゃあ、君も嗅いじゃうよー赤ちゃんみたいな匂いがするー」

 ロビンソンは間に挟まった玉之丞を嗅いでいる。

「じゃあ、二人とも。マユに説明とか打ち合せするから、一緒に来てくれる?」

 桑子はそう言い、竜人二人を連れて、外のステージへと向かう。

 用意された水上飛行機は特に変な仕掛けもなく、ただの一般的な飛行機にペイント弾を積んでいるのだと分かる。

(まぁ、竜と戦っていたのだから余裕だろう……)

 そう思いながら当日。打ち合わせの時は人っ子一人いない賭博場も、飛行機と竜が戦うとなると、集まるようで、賭博券を買っていない人もいるくらいだった。

 自分以外のパイロットは、飛行機の経験がある特高の男性達だった。

「こんにちは。緊張しなくてもいいから、死ぬようなものじゃないし」

 話をしてみると、皆親切な人だったのだが、拷問と殺人の経験があるプロだ。

「ペイント弾の色が飛行機ごとに違っているんだ」

 彼はレーシングスーツを着ながら、説明をする。

 竜の体面の10パーセント、ペイント弾で塗ったら、人間サイドの勝ち。

 竜も飛行機も試合開始から試合終了まで、着陸、着水したら失格。

「後はパイロットに賭けができる。どのパイロットが一番、色を塗ったのかをね」

 じゃあ行こうかと彼はそう言い、ヘルメットを被る。

 水上飛行機があるステージの方に向かう。

『僕も飛行機に乗る!』

「君は吐いちゃうからダメ。屋台で美味しい物買ってあげるから、我慢しなさいね」

 玉之丞は桑子が面倒見る事になり、桑子は彼を肩に乗せ、室内の大きな窓から水上を眺めている。

 一方、マユは水上飛行機に乗り、操縦室で体勢を整える。

(竜を撃ち落すのが仕事だったんだ……簡単なものだ……)

 マユの片手は緊張からか小刻みに震えるが、気合でハンドルを握った。

 ステージには蒼尾とロビンソンの姿があり、彼らが何か呪文を唱えると、みるみるうちに体の形、大きさが変わり、5メートルと10メートル程の竜に変化する。

 蒼尾は名前通り、青い鱗が体を覆っている小柄な竜で、尻尾の先が竜人の時と同じく扇のようになっていた。ロビンソンは対照的に金色の竜で、鱗ではなく体毛で覆われていて、もふもふだ。

 彼らが翼を大きく広げ、飛ぶ体勢になる。

 マユの呼吸が荒くなり、動悸で胸が苦しくなっていった。

(あー、そうか。もう私は……)

 どこか飛行機に乗る事を拒絶しているようで、マユはそれを感じ取る。すると、汽笛に似た音がその場に響き渡った。始まりの合図で、一斉に飛行機は飛び立つが、マユは数秒出遅れ、慌てた様子で、海上を立つ。マユは空中で数発、蒼尾に撃つが、西洋竜より小柄で、動きが違う為、当たらない。

(東洋竜は西洋竜の動きと違う。西洋竜のロビンソンなら、もしかしたら――)

 そう思ったマユは機体を大きく迂回させ、ロビンソンと対面し、狙いを定める。

「あっ――」

 西洋乙女だった時、撃ち落してきた西洋竜達の姿と重なり、マユはペイント弾を撃てなくなってしまった。

『行くぞー!』

「――えっ?あっ?ちょ、ちょっと!待っ――」

 そんな状況を知らないロビンソンは飛行機のスレスレを高速で通り抜け、翼の風圧で、マユの機体はコントロール能力を失い、回転しながら海上に落下する。

 落下の衝撃で、会場に引いている海水が波となり、前列で見ていた客に降りかかるのだった。

 この日は、賭博場始まって以来の珍事件、伝説になった。

「いやあ、見たかったなぁ。ねー、お玉」

『うん、見たかったぁ』

 屋台で買ったべっ甲飴を齧っている桑子と玉之丞はそう言い、マユは落ち込み、応接室のソファーに顔を下にした状態で寝転がっている。

「いくら、賭博券を紙屑にしたんだっけ?」

 桑子はいじけているマユを面白がり、近くにいた特高の青年に声をかけた。

「3000両くらいですかねー」

「うちは儲かったという訳だから、感謝なんだけどさー。神棚代、返さなくていいよー」

 初日はお祭り感覚だったのだあろう。マユに賭ける者が多かった為、賭博場は儲かる形になった。もしかしたら桑子は、それを見越していたのかもしれない。それから一週間、竜側と飛行機側は戦い、勝ち負けは半々。その間のマユのペイント弾は、一発も当たらず。

 マユに賭ける人は殆どいなくなったある日。

 一時的に借りた社宅で、玉之丞と二人で遊んでいると、蒼尾がマユの元にやってきた。

「おい、負け女」

「蒼尾か……どうしたの?何しに来たの?ここには負け犬しかいませんよ」

 部屋の扉を開けたマユは精神的にボロボロで、クールな蒼尾も心配するレベルであった。

『蒼尾、あそぼ』

 玉之丞は犬用のボールを咥え、トコトコと歩いてくる。

「お玉、神棚を作って貰ってからどうだ?霊力が戻っている感じするか?」

『んー?わかんない』

 玉之丞はボールを床に置き、前足で押し、コロコロと蒼尾の足元に転がす。それを拾った彼は、良い感じの力加減で部屋に投げた。そのボールを玉之丞は、嬉しそうに追いかける。

「桑子から聞いたんだけど、お前西洋竜が怖いのか?俺ばかり狙ってくるし」

「べ、別にそうではないけど。怪我をさせて、撃ち落すのが仕事だったから、なんか嫌なんだ」

 そう言うマユだったが、何か別の事が理由なのではないかと思ってしまう。

(自分の事なのに、自分が分からない……何かを忘れているような……)

 別の理由がある気がしてならないが、思い出せない。

「じゃあ、俺だけ狙えばいい。ロビンソンにもそう伝えておく」

「えっ?」

 マユは驚き、声を出すと彼は理由を告げる。

「こんな精神状態の奴の弱点を狙うとか、嫌なんだ」

「蒼尾さん……」

 マユは感動していると、蒼尾が余計な一言を口にする。

「後、そろそろお前に勝って貰わないと、うちが儲からないからな」

 そう言い、棚の隙間に入ったボールを短い手足で取ろうとしている玉之丞に声をかけ、彼は立ち去るのだった。

 すると、その光景を遠くから隠れて見ていたロビンソンが蒼尾を揶揄い、彼の頭に自身の肘を置く。 

 その光景を見たマユは自然と笑みが零れ、部屋に戻る。

 相変わらず、玉之丞は棚の下に入ってしまったボールを取り出そうとしていた。

「玉之丞、ボールは明日の朝。もう寝るよ」

『えー。うん、明日にする』

 マユは玉之丞用の籠に手拭いを敷き、ベッドの横の棚の上に設置する。

 玉之丞がその中に入り、丸くなるのを確認し、部屋のランプを消すのだった。

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