「で、神棚を用意したんだ?桑子さんに借金して」
帰宅した勇五郎はそう言い、軍服を脱ぎ、和装に着替える。
「ぶえぇ、無職にこの出費は辛いよ……」
マユの言葉など気にしない玉之丞が、脱いだ軍服に潜り、遊び始めると、彼はそれごと抱きかかえた。
『きゅむっ――』
その服の袖から顔を出した玉之丞の頭を、勇五郎は指で撫でる。
「玉ちゃんは最初、お母さん犬のおっぱい飲んでたんだもんね。ねー?」
『ねー』
居間に二人と一匹で向かうと、ボンドと接着剤を片手に、ちゃぶ台の上に木材を組み立てる留吉の姿がある。
「ねぇ、留吉。確かそれ、窪みに、嵌め込むだけって話だったじゃない?」
「いや、嵌めても、外れちゃうんだってば」
そう言い、組み立てているが、ちゃんと嵌まってないのか、外れてしまう。
(不器用だなぁ……)
マユが組み立てしようと、その木材を見ると、くっ付かなくて塗ったボンドと接着剤が固まり、形が歪んでしまっている。やすりで、その部分を削らないと組み立てるのは無理そうだ。
「お父さんが週末に組み立ててあげるから、もう寝なさい」
勇五郎から玉之丞だけを受け取り、彼の体を撫でる。すると、玉之丞は状況がよく分かってなかったようで、マユの顔を見て、こう質問をする。
『神棚は?』
「週末にお父さんが組み立ててくれるって――もう寝ようか……」
そう話を切り上げ、マユは寝室に玉之丞を運ぶのだった。
*
開いた窓から羽虫の鳴き声が聞こえ、カーテンが風で微かに揺れる。平馬(ひらま)の海軍基地の応接室。
【今日未明、女性の変死死体が川津(かわづ)の海岸に、浮かんでいるのが発見され――】
ラジオでニュースを聞きながら海馬少将は、キヌから届いた手紙を確認した。
「橋本大佐の娘は、明日初陣かー」
向かい側に座っている次男に声をかけ、葉巻に火をつける。
次男、名前は『沙十字(さじゅうじ)』というのだが、彼は生真面目な男で、父親や長男と違い、堅物で融通が利かないと海軍内で言われていた。
「思っていたのですが、橋本氏とキヌ殿が戦死したら、どうするんです?陸軍の大佐の娘を死なせたとして、処分は無くても、評判は下がりますよ」
「んー」
彼は葉巻の煙を口から出し、彼は言う。
「大丈夫、死なないから」
彼の瞳に霊力が宿り、光の粒が微かに映る。それはまるで未来が見えているようだ。
【死体の特徴です。赤紫のワンピースを着ており、女性だと分かります。骨や歯は削れ、原型が無く、顔は判断できず、そして肉や肌は炭化し――】
254年 『神無月』 朝七時。
空母の飛行甲板の上で早朝、乙女達は将校達に混じり、体操をする。秋風と潮の香りがマユの鼻に届き、とても心地よい。だが、寝起きが悪いキヌと桑子は屍人のようにグロッキーで、見ていていたたまれない。そして本来ならいるはずのシラの姿が無い。
(またか……)
初めて出会った時、彼女が断髪だった為、何となく察していたが、やはり不良少女だったようで、将校と恋愛関係になっては別れ、付き合っては浮気し、別れを繰り返している。
その関係で一緒にいる事が多かったマユや桑子は、将校達から無視され、嫌われた。
マユは最初こそ仲良くしていたが、彼女の事が苦手になっていく。桑子は特高警察なのもあり、ルールを守れないシラと対立していった。キヌはのんびり屋で、穏やかな為、中立の立場を保って接しているが、今後どうなっていくかは分からない。
女ばかりの生活でギスギスしない訳がないのだ。共同部屋で寝て起きて生活していてプライベートも無いに等しい。そして、娯楽も憂さ晴らしも出来やしない。
体操が終わった時、シラがやっと飛行甲板に来た。彼女は寝ぼけているのか欠伸をしていて、怠そうに歩いており、桑子を含め、数人の女子が彼女をじっと眺める。
「だって、寝不足なんだもの」
仕方がないじゃないと、彼女が言うと、皆が彼女を無視し、解散する。マユとキヌは勿論、桑子の背中に付いて歩き出す。すると、後ろから衛星の声が聞こえた。
「シラ、後で話があるから、俺の部屋に来るように――」
(衛星が言っても、無駄だろうな……)
彼女の不良は今に始まっての事ではない為、話をしたところで、改善はされないだろうなとマユを含めた全員が思う。マユは桑子に追いつき、隣に並び、表情を確認する。桑子は怒っているような、警戒しているような顔で、整っているのもあり、凄く怖い。
「二人とも、待ってよ」
マユは追いついたキヌの表情も、桑子と同じように確認する。
彼女はこのギスギスした雰囲気をどうすればいいか分からない顔をしていた。
*
マユの軍服には、麒麟のワッペンが縫われており、少し初々しい。
大部屋を出て、空母内の廊下を歩くと、サボっていたのだろうか佐市大尉が通りかかり言う。
「あっ、橋本の御嬢さん。今日が初陣かー、その服似合っているね」
「どうも」
そう返事をし、自分の戦闘機がある飛行甲板に向かう。
すると、その廊下で久にばったり会った。
「馬子にも衣装……」
マユのその姿を見て、久は無表情で、そんな風に言う。
「それって誉め言葉じゃないじゃん……救命胴衣とかは支給されないとか、空軍は私達を見送るだけ見送って、帰ってくるなと……」
そうマユが言うと、久は彼女の頭をポンポンと軽く叩き、その場を後にした。
(相変わらず、変な人だなぁ……)
マユはそう思いながら、戦闘機のある場所に移動する。マユ達が乗る戦闘機は最新型だそうで、大学の学者と聖職者達が共同で開発したそうだ。
灰色のボディに、プロペラ、本来の戦闘機に備え付けられているミサイルは、ニードルと呼ばれた太く長い槍で、西洋竜達を殺すのではなく、怪我をさせ、一時的に飛行できなくするそうだ。
「この機体は『蛹(コクーン)』と呼んでいます。あくまで試作品だから、少量しか作れませんでしたが、性能は保証します」
空軍の整備兵がそう説明し、丸眼鏡を細い指で上げる。離陸訓練していた飛行機とは違い、操縦部分は無く、その箇所に豪く太いニードル、自爆用の爆弾が積まれている。
そして、その後ろに人が入れるくらいの扉とスペースがある。それは、銀色の金属性で、頑丈そうだ。
「何、この機体は――」
周囲の状態も見えない部屋に入れられて、どう攻撃すればいいのだろうか。
とりあえず、扉を開けると、操縦室のようになっており、椅子のようなでっぱり、ハンドル、アクセル、飛行機の操縦に必要なものはそこにあるが、やはり窓は無い。
「扉の鍵は外からでないと開けられないし、閉められません。ですが、それは沈水した際、水が入らないようにするのと、爆発しても衝撃や熱が入らないようにする為です」
中に入り、椅子のようなでっぱりに腰を掛け、足をアクセル、手をハンドルに置く。
すると、金属の隙間、影から滑りのある触手が伸び、マユの足や腕に絡みつく。
「ひぇっ――」
それは半透明の触手で、ただ触れるだけなら、まだマシなのだが、服の上から針のようなものを刺してきて、新品の軍服に血が滲んだ。
すると、金属の壁が透け、大きい窓の前にいるように周囲の様子が見えるようになる。
「悪意はありませんので、優しくしてくださいね」
マユのその様子を見ても彼は動じず、無表情で言う。
(そういえば、神職者の協力で作ったと聞いていたな……)
そう思いながらもマユが数回、痛いと言うと、その触手は再び、影に消えていった。
「そうだ。彼の事もありますので。乗る際は自身の機体か、他者の機体か確認してから、乗るように――」
「――えっ?えっ?」
マユがそう声を出すと、そそくさとその場を離れていった。
西洋の国と東洋の国は『沼梨山脈(ぬまなしさんみゃく)』という山脈で区切られており、その大きく長い山脈が竜の神域である。
西洋人はこの山脈を『サマーゴット山脈』と名付け、呼んでいた。
(神の山脈という意味だったら、そこにいる竜も神ではないのだろうか……)
山脈付近の海上、マユは空母から戦闘機で飛び立ち、西洋竜と対面する。
西洋竜は5体。東洋竜とは違い、大きく、筋肉質でガッシリとした印象だ。
(頭数が少ない、偵察で来たのだろうか……)
マユはそう思っていると、西洋竜がスピードを上げ、戦闘機に突っ込んでくる。
(今、乗っているのは新型機という話だが、西洋竜の方が大きく、早い……)
マユは間一髪、避けるが、味方の戦闘機、一機が当たり、墜落。風圧で制御が利かなくなっている機体に別の西洋竜が体当たりしようとした時、マユがニードルの発射装置を起動させた。
「当たれぇぇぇ!」
翼を撃つはずが背中に当たってしまい、西洋竜は物凄い鳴き声を上げ、墜落する。
(心臓がバクバクする――)
見方を守るために、戦っているはずだというのに、撃った時、罪悪感が体を支配した。
(もう戦いたくない……でも私が戦うのをやめたら、皆も死ぬ……)
パイロットとしては優秀だったのかもしれないが、西洋乙女としては落ち零れだったのかもしれない。
(桑子は特高警察で殺人と拷問は慣れっこだったから、私の気持ちは分かってくれないし。キヌは戦場に出てないから、何に悩んでいるか分からないだろうし……)
*
「よし、かんせーい」
『やったぁ!』
嫌な夢を見るのは、猛暑のせいだろうか。マユは父親と玉之丞の声で、目を覚ますが、夢のせいか寝起きが悪く、胃の中がムカムカする。
(久々にこれだ……少し、具合が悪いかも……)
着替えを済ませ、居間に行くと、勇五郎が神棚を完成させ、玉之丞はそれに体を擦り付けている。
「あっ、マユちゃん。おはよう」
ちゃぶ台の前に胡坐を掻いた勇五郎が、マユに気が付き、朝の挨拶をする。
「こんな朝から、それ作っていたの?」
「玉ちゃんが早く作ってほしそうだったし、マユちゃんが桑子さんに借金してまで用意したから。ねー?」
『ねー』
玉之丞はそう勇五郎に返事をし、彼の肩に乗り、頬ずりをする。
勇五郎は相変わらず、聖獣の扱い方が上手で、マユはその事に尊敬するのだった。
すると、勇五郎は思い出したようにある事を言った。
「そういえば、さっき。こんな朝からって言ったけれど、今昼だよ?」
「えっ?」
マユは勇五郎が言った事に驚き、居間の壁にかけてある時計を見ると、正午を回っている。
マユの笑顔は引きつっていく。
前日に用意していた旅行鞄を持ち、玄関で履き慣れたブーツを履く。
「あぁぁぁ、時間過ぎちゃうよぉ」
そう言い、玄関を出ようとした時、勇五郎がやってきた。
「もしよかったらだけど、桑子さんに電話しといてあげようか?」
「会うの夜になるって伝えて下さい!」
玄関の扉をガラガラと開けると、ご機嫌で歩いている玉之丞がやってきて、勇五郎が抱き上げる。
「忘れ物でーす」
玉之丞を両手で抱えた状態で、勇五郎は円を描くように動かした。
「あっ、おいで。玉之丞」
マユは両手を広げ、玉之丞は彼女に飛びつき、胸から肩まで移動する。
汽車を乗り継ぎ、港町へ。汽車から降りると、潮風が肌を撫で、日差しが強く肌を刺す。
「玉之丞、大丈夫?梅干し食べる?」
『きゅぅ――』
玉之丞は前回同様、乗り物酔いしたらしく、ぐったりしている。
「深呼吸するんだよ。吐くときは道に降りてからね……」
(なんか、空母に乗っていたのを思い出すから嫌だなぁ……)
地形の関係からか、駅が高台にあり、下のほうに市場や工場が見えた。
(港町って何所も、どうして似ているんだろう……嫌だなぁ……)
この町に嫌な記憶がある訳ではないはずなのにと思うが、どうしても嫌な気持ちになる。
目を凝らしながら、遠くを眺めると、海軍基地も近くにあるようで、駆逐艦らしい船が見え、玉之丞を頭の上まで抱き上げ、それを見せた。
「ほら、お船。酔いって遠くを見ると良くなるんだよ」
玉之丞に話しかけたのは、彼を慰めるというよりも、マユ自身の気持ちを落ち着かせたかったのかもしれない。だが、それが災いを招き、マユは後悔することになる。
『吐く――』
「――えっ?」
コメント