最終章『終わってから始まる物語』②

 北洋の指令室は、窓ガラスが張られ、周囲が見渡せるようになっている。

「ねぇ、シラちゃん。もうやめよう……こんな事……北洋の工作員なら、東洋に亡命すればいいじゃない?新しい戸籍を作れば、新しい居場所が……」

「駄目だ。私は北洋人として生まれ、生きてきた。人も殺したし、この体も使い捨てだ」

 キヌはシラを説得しようと話しかけるが、彼女の意思は固く、傾く事は無い。

 そして、霊術で体力を削っているのか、シラの顔色が悪く、脂汗が額に滲んでいる。

「シラちゃん、ハンカチどうぞ。使って――」

 キヌは上着からハンカチを取り出し、渡そうと差し出すが、彼女はそれを受け取らず、窓の方を見る。というのも外に出ている工作員が騒がしく、室内まで声が響いていた。

 キヌはその方を見ると、一機、クラーケンを突き抜け、シウスの前まで来た戦闘機が見える。

 機体は翡翠色、コクーンと同じ形のそれは、東洋の戦闘機だった。

 だが、警報が鳴り、シウスが作動すると、その場を離れ、発射される弾丸を避ける。

「あの動きは――マユちゃん!」

 キヌは驚き、声を出すと、シラは舌打ちし、彼女を置いて、別の部屋に向かった。

 それと同時刻、マユは翡翠色のコクーンに乗っていた。

(クラーケンは通過できたけど……経験不足からか、見余ったかもしれない……)

 転移術を久と四島にしてもらい、有馬にコクーンを移動してもらった。

(何で、私って毎度、タイミングが悪いのかな……)

 シウスの攻撃は避けられるのだが、久がニードルの発射装置を外してしまった為、マユから攻撃する手段がなく、上陸できず困っていた。

 スピードが同じくらいの為、シウスにコクーンごと突っ込む事すらできない。シウスはマユのコクーンを捉えると、警告音を出し、何十、何百の弾を発射した。マユの乗るコクーンは迂回するが、今度は工作員が対戦車用だろう、ごついライフル銃を構え、何発か発砲する。

(難しいな……シウスが反対側を向いてくれれば、後ろから体当たりするのにな……)

「頑張っているけれど、難しいかもしれないなー。君のお嫁さんも、産卵頑張ってるもんねー」

 空母からその様子を見ている浩三は、肩に乗っている雄の蚕を触りながら言葉を発する。

 すると、その様子をただ見ていた桑子に声をかけた。

「特高警察の君は、コクーンに乗れたりするの?」

「やっぱりバレていたか……ならいいや。きっぱり言うけれど、私は特高警察。という事はアンタらの敵だ。後、もう一つの機体は私のじゃない。呪いが自身に降りかかって、人生を棒に振るリスクがあるのなら、誰でも乗らないでしょ?」

 総理大臣と帝室が対立している以上、味方はしないというのが、彼女の意思だった。

「君がシウスの気を引いてくれれば、マユちゃんの機体は突入できるんだけどなぁ」

 そう言い、二人はマユの機体が大きく迂回する様子を眺める。

「君がコクーンに乗ってくれるのであれば、帝室と仲直りできるように、頑張るよ。爺さんが死んでからになるかもだけどね。後、君個人に支援してあげてもいい。それでどうだい?」

「アンタは佐市よりも話が分かるから好きだ――」

 桑子がそう言うと、浩三が乙女のような顔をし、口を両手で押さえると、彼女が不機嫌そうに否定する。浩三の肩の蚕も同じようなポーズをし、彼に懐いている事が分かった。

「違うって!そういう意味じゃない!次、そんな顔したら、海に落とすぞ、おっさん!後、もう一つ条件がある。いいか――」

 桑子はそう言い、大股で歩き、四島の方に向かう。

「クラーケンの注意を逸らしてほしいねー」

 浩三はそう言い、部下の一人から大きな斧を受け取る。

「水上歩行ですか?それでしたら、沙十字に霊術を――」

 浩三の元へやってきた佐市がそう言うと、浩三は言う。

「あー、海面をクラーケンの所まで、凍らせてくれればいい。佐市、お願いできる?」

「勿論です。それなら得意なので」

 佐市は自身の杖を部下から受け取り、術を唱えると、海面が広い範囲で凍り付く。

 すると、浩三は空母から飛び降り、氷の上に立つ。

「よし、久々にタイマン張るぞー」

 そんな時、タイミングが良いのか悪いのか、転移術を終えた四島がその場にやってきた。

「あー!今からクラーケンと戦うんだけど、一緒にどう!」

「嫌だ。意味分からないし」

 と、四島が浩三の誘いを断ったのだが、それを見ていた佐市が言う。

「四島少将。いや、四島さん」

「な、何!」

 彼の瞳を見ながら、佐市は微笑む。

「俺、凄く良い男だと思いません?脱いだら、もっと凄いんですよ。見たくありません?」

 四島の部下がそっと近づき、彼の愛刀をそろーりと差し出す。

 四島は数秒困惑した顔をしたが、愛刀片手に氷の上に立つのだった。

「流石、先輩。えらーい」

 浩三が氷の上で、そう四島に言い、スケートのように海面を滑っていく。

 用意されたコクーンに乗り込むと、姿が見えないが、何か細長い植物のツタのようなものが桑子の足や腕に巻き付き、棘で刺す。

(最初に乗った時も、そうだったな……)

 だが、少し違う点があった桑子が掴まれ、刺された箇所が硬化し、鱗のようになる。

(あー、このまま乗り続けたら、トカゲや竜になるんじゃ……)

 操縦席から外を見ると、浩三と四島が武器片手に、クラーケンと戦っていた。

『桑子ちゃん、可哀そう……俺の家に来る?』

『無精卵産んじゃったの?卵焼きにしようねー』

 海馬親子に飼われる未来が過り、ぞっとする桑子だったが、覚悟を決め、ハンドルを握り、離陸した。使い慣れた機体じゃないからか、ハンドルが少し重く、椅子の位置も変な感触だったが、桑子はうまくクラーケンの触手を避け、マユの機体に無線を入れる。

【マユ、そっちはどうだ?】

「桑子?こっちはシウスが突破できなくて困ってる。体当たりして壊そうとしているんだけれど、近づくと、こっちに銃口が向いて、発射してくるんだ」

【私はマユぐらい、操縦がうまくないし、空母に突っ込む勇気もないが、北洋人に好き勝手されるのは困る】

 その瞬間、桑子の機体がマユの機体の真横を通り過ぎ、シウスの警告音が鳴る。

【キヌの事、よろしく】

 シウスの銃口が桑子のコクーンに向き、けたたましい機関銃の音が響き渡った。

(あっ――)

 桑子の機体はシウスの動きを避けきれず、翼に機関銃の弾が掠り、炎上したコクーンが海上に打ち付けられ、四散する。

「あああああああ!」

 マユは声を上げ、シウスにコクーンごと突っ込んだ。

 操縦室の中で、シラはぐったりしているキヌの頬を触る。

[自爆装置は起動させた。自分達は転送術で先に帰るけど、アンタはどうする?]

 工作員の男性はそう言うと、武器をネジで解体していた。

[少しだけ残るつもり。あれが片付いたら、元の体に移動すると、上司に伝えてくれ]

 シラは言葉を出す。すると、中年の男性がやってきて、シラの頭を撫でる。

[まぁ、今回アンタは頑張ったよ。空母有馬の情報、設備、部屋の配置が分かればいい。あくまで宣戦布告はついでだ。成功しなくてもいい]

 髪をベタベタと触り、頭に顔を付け、霊力を吸う。

[この体を失うのは惜しいなぁ。一晩だけでもスケジュールが空いてればなぁ]

 その一言でシラは不機嫌になるが、その瞬間、運転席の窓ガラスが割れ、東洋の戦闘機の一部が突っ込んでくる。

「驚いた……よくここまで来たもんだ……」

 先程一緒にいた男性らは、ギリギリ転送術で、北洋の本体に魂を移したか、それとも本当に死んでしまったか、体中に硝子の破片が突き刺さり、動かなくなってしまった。

「マユ」

 煙が消え、そこからマユの姿が現れる。強い衝撃からだろうか、彼女の額が割れ、そこから血が流れ、顔の半分が赤く染まっていた。

「シウスは空母の最後の砦だと、佐市大尉から聞いた」

「そうだね」

 シラはキヌを起こし、自分と同じように立たせる。

「どうやってきたの?まさか戦闘機を車のようにバックさせたとか?」

「シウスに突っ込んだ時、衝撃で運転席に機体が逸れた」

 キヌの服に付いた砂埃を手で払い、着崩れた服を整え、言葉を出す。

「運が良いね。本当に」

 綺麗なイントネーションの東洋語で、今回の事が無ければ彼女が北洋の工作員だと気が付かないだろう。

「私、何歳に見える?」

 シラは自身の上着から拳銃を取り出す。

 それは東洋製ではないようで、身近に軍人がいるマユも見た事がないリボルバー式の物だった。

「二十代を七回?いや、八回だったかな?確かそう。桑子にも伝えておいて、偽名、変装、違う人間を演じていると、自分が分からなくなってくるって」

 すると、彼女は魔法陣が現れている左手を撃ち、床は彼女の血で赤く染まり、リボルバー銃を蹴り、マユの方に渡す。

「この空母は三分後に自爆する。それより先に私を殺さないと、キヌは取り戻せないよ」

「言われなくても分かってる……」

 リボルバーを拾い、使える状態か確認し、シラの方に向ける。

「マユお前は今、私を殺す!お前は故郷に帰るかもしれないが、お前は戦争前の自分には戻れない!家族や恋人の前でもだ!」

 悟の姿が脳裏を過り、息が詰まる。マユの片手が震え、それを必死で抑え、生唾を飲んだ。

 マユは思う。

(もしかしたら、自分は少しだけ期待していたかもしれない……)

 戦争が終わって、職場に復帰したら、数日後、数か月後かもしれないが、従業員や社長が自分を呼びに来て、言われた場所に向かうと、そこには長身で穏やかそうな彼の姿があり、そこから百貨店で買い物し、純喫茶でプリンアラモードを食べ、ダンスホールに行って、満足するまで踊れると。

(馬鹿だな……婚約破棄したのは自分なのに……)

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