寮を出ると、肌を涼しい風が顔や露出している腕を撫でる。
ジリジリと焼けるような日中と違い、秋の夜中のような気温で過ごしやすさを感じる。
鈴虫に似た虫の鳴き声が聞こえ、耳が心地よい。
(夜の散歩もいいなぁ――)
中学の頃、夕方から夜まで塾に通っていたので、その記憶と重なった。
空には月が出ていて、その光で懐中電灯が無くても明るく、自分の足元も一緒にいるロベルトの表情もはっきり分かる。
「懐中電灯が無くても明るいね」
彼はそう言うと、肩からかけている鞄に、自分の懐中電灯をしまった。
「ポアリちゃんのも入れる?」
「いや、一応持ってるよ。幽霊をこれで、殴らなきゃいけなくなるかもだし――」
私がそう答えると、彼はニコニコと笑み、言う。
「幽霊なんていないよ。嘘、嘘。誰かがそのフリをしているだけでしょ?」
「そうだろうけれど」
人間が正体なら尚更、懐中電灯で物理的に殴るべきだと思ったが、話が長くなりそうなので、そこに触れない。
新聞部の彼は、それを察していたから、別れる前あのような反応だったのかもしれない。
それを暴いて、記事にしたいだけという事だ。
そして、中庭の方まで進むと、池の水が近いからか、蛍のような光る虫が飛び始め、視界に入るようになった。
蛍のような虫は、現世とは違い青白い光で飛んでいる。
「この虫、棘無しホタルモドキという名前で、指で摘まむと青白い光から、桃色に光の色が変わるんだよ」
「そうなんだ」
この異世界の一般的な蛍が、棘が体にあるという事が分かったが、それの関心は無く、適当に返事をする。
「ポアリちゃんってさ。なんで、ここに通ってるの?」
そうロベルトが、ふと思ったのか自分に訊いてくる。
彼には事情を話していると思っていたが、何も知らないのだろうか。
(今、軽い記憶喪失だからな――)
記憶が中途半端なので、反応に困っていると、彼が改めて質問する。
「たまに話に、おじさんって出てくるけれど、どういう関係?」
「えっと、実家が教会で、それの支援をしてくれる人?」
そう言うと、ホタルモドキが自分の目の前を通り、自分の前髪に留まった。
「じゃあ、婚約しているとか、愛人契約している訳じゃないんだ」
そのうち、そうなりそうな気もしなくはないが、今のところ予定はない。
「無いよぉ――ないない――」
死んだ魚のような目でそう答えると、彼は自分の前髪に触れる。
「じゃあ、学校卒業したら結婚してくれる?」
「いきなり言われても、困っちゃうな――」
適当に誤魔化し、視線を逸らす。
「ポアリちゃん、すぐに振らないんだね。じゃあ、結婚はしなくても、付き合ったりする可能性はあるんだぁ?」
ロベルトは、前髪に留まったホタルモドキを指で摘まむ。
すると、先程の説明通り、ホタルモドキの色が青白い光から桃色の光に変わる。
もう片方の手で、自分の左手を取り、接吻をする。
そして、そのホタルモドキを自分の左の薬指に近づけた。
「私は虫、平気だからいいけれど、虫嫌いだったら大変な事になるよ」
虫嫌いの人にしたら、絶対ビンタされる。
「そう?ロマンティックだと思ったんだけれど」
そう言い、ロベルトはホタルモドキを自分の左手の平に乗せる。
すると、また光の色が切り替わり、その個体は空に飛んで行ってしまった。
「じゃあ、良い口説き文句を思いついたら、また言うよ」
そう言い、彼は自分の手を握り、恋人つなぎをする。
「うーん、また言われても同じこと言って、断ると思うけどな――」
そう言い、二人で学園内を見回る。
池の前を通り、校舎の裏側を確認する。
校舎の教室も確認しようと思ったが、正門も裏門も扉が閉まっていた。
それが夏休み期間だからなのか、深夜だからか理由は不明だが、それは今関係ない。
後、私は虫よけしていたはずなのに、虫に足首を刺されてしまった。
正直それで、幽霊の正体を暴くよりも、部屋に帰りたいが強くなる。
「やっぱり、幽霊って嘘なんじゃない?見間違いとかさ」
そう私は刺された場所を掻きながら、彼に言う。
「でも、話は聞くんだよね?一学期の始めあたりから、何人も遭遇してるってことだし」
もう少し頑張ろうと、彼が私を励ます。
「見た奴が霊感、たまたまあっただけだって――」
もうこの時は、本当に帰りたいスイッチが入っていた。
「今帰ってもいいけれど、帰ったら僕との婚約成立ね」
そう言う彼の顔は笑顔だが、目がマジだった。
月明かりで反射しているのか、光って見え、私は少し声をあげる。
「ひっ――」
人生が狂うのは大変なので、もう少しだけ我慢しよう。
寮の建物の裏に、同じくらいの大きさのとても古い建物がある。
そこは古い大浴場で、老朽化が進んでおり、今は誰も寄り付かないらしい。
(ここだけ、なんか廃病院のような雰囲気があるなぁ――)
レンガで出来た壁は、所々穴が開いていて、内装が外からでも確認できる。
懐中電灯でその穴を照らすと、マイマイカブリに似た虫がおり、奥へと逃げる。
そして、敷かれた赤いカーペットに、黒いカビが広い範囲で広がっている。
カーペットをよく見ると、若干それは濡れているようで、それも不気味さがあった。
「入り口は鍵閉まっているみたいだけれど、あっちに人が通れるくらいの穴が開いてるから、行こうか」
ロベルトはそう言うが、面倒くさいとかではなく、恐怖で行くのをためらうレベルだった。
この大浴場が使われなくなった理由だが、寮の部屋にはシャワールームが設置してある。
それはここ数年で取り付けをしたものだそうで、大浴場というものが存在している。
そのシャワールームの設置で、需要がなくなり、管理も大変だった為、もう使われていない。
「使われていないから、誰も通らないし、誰も掃除しないから」
使われなくなったという事は、そこまでの道も必然的に使われなくなったという事。
壁の電灯は付かないし、更に窓も無いので、懐中電灯が必要になった。
懐中電灯を点けると、白い壁や床に黒い黴、壁や床の隙間から、ツタ植物が侵入しており、それが茂っていた。
「窓がないのに、何で植物が入ってくるんだろう?」
「あぁ、この植物、小さな虫や小動物、カビの胞子を食べてエネルギーにするんだって。ほら、葉っぱの裏に柔らかい棘あるでしょ?」
ツタの葉に触れ、裏側を見ると、確かに毛のようなものがびっしり生えている。
そこはモウセンという部分らしく、それで捕まえて、溶かして栄養にするという。
「食虫植物みたいなものか――」
よく見ると、丸まっている葉もある為、話通りだとすると、虫や小さい生き物を捕まえていて、溶かしている最中かもしれない。
葉っぱを観察していると、奥で誰かの叫び声が聞こえる。
それは断末魔のような声で、私とロベルトは驚き、その方向を見る。
そこには闇が広がっており、通路の奥は懐中電灯を向けても、その声の主は見えない。
「ゆ、幽霊?」
「いや、事件かもしれない」
そう話をし、走ってその方に向かう。
「ちょっと、ポアリちゃん。走ると危なっ――」
ロベルトが何か言いかけた時、小さな異物を足で踏んでしまう。
何かのスイッチだったのだろうか。
それは自分の体重で床に押し込まれ、鉄格子が上から降りてきた。
――ガシャン!
彼と自分の間を鉄格子が差し込まれ、自分と彼は離れ離れになる。
「ポアリちゃーん!」
「マジか……」
二人で鉄格子部分を掴み、持ち上げようとしてみるが、ビクともしない。
「どうしよう、開かない。ポアリちゃんと離れ離れ――」
「鉄格子が間にあるだけでしょ」
朝まで待つか、先に進んで抜け道を探すか。
(どうしようかな?先暗いし、変な虫いるから、朝までここにいるのが無難かな?)
そう思っていた時、彼が静かに言った。
「でも、まぁ――鉄格子から出られずに、一生懸命出ようとするものの、睡魔に負け、寝落ちするポアリちゃんを、一晩中眺めるのもいいかもな」
それにちょっと、引いた。
(考え方がサイコパスというか、犯罪者思考なのは何故なのよ……)
どんな風に親に育てられたら、そう考え方が歪むのか。
掻いた汗を拭おうと思い、自身の首に触れる。
魔法石のネックレスのチェーンに触れ、先程それを貰った事と、アーノルドの事を思い出す。
(そうだ、アーノルドさんを頼ろう!)
壁に穴を開けてもらうか、抜け道を探すのを手伝ってもらおう。
(そういうことであれば……)
「じゃあ、私は奥に行くから。朝まで戻ってこなかったら、後処理よろしく」
アーノルドの姿や声は転生者しか見えないし、聞こえないと言っていたから、作業の効率を考えると、ロベルトを置いていくのが正解だろう。
「そんな無理に行かなくても――」
彼は泣きそうな顔で私の方を見る。
「ごめんね、効率を考えると仕方がないんだ」
「えっ?効率?手分けしてって事?」
濡れて震える子犬のような悲壮感が漂うが、そんな彼を置いて、私は先に進んだ。
「えぇっ?本当に置いていくの?ポアリちゃん、ねぇ置いてかないでっ!」
ガチャガチャと、鉄格子を揺らす音が後ろから聞こえるが、聞こえないフリをする。
カツカツと自分の靴の音が床に響き、しばらく歩くと彼も諦めたのか、声が聞こえなくなった。
(これで嫌いになってくれたかな?)
自分はそう思いながら、歩いてきた方向を見る。
そこはもう暗闇で、先程自分が彼を置いてきた場所は見ることが出来ない。
(――悪い事したかな?)
そう思っていると、光の球が急に自分の魔法石から出てきて、自分の肩辺りの高さに浮いた。
「アーノルドさん」
『そう思うのなら、彼を置いてこなければよかったんじゃないですか?』
それはかなり落ち着いた声で、学校の先生が諭すような話し方だ。
「だっていきなり、結婚がどうのとか言うんだもの」
軽い記憶喪失になっているから、彼との記憶は無いに等しい。
そんな彼に求婚されても、どう返事をすればいいか分からない。
そもそも彼はどのような性格で、どのような生まれの人間なのか。
教えられたのかもしれないが、それが今無いのだから判断がつかない。
(恩を仇で返すような形になって申し訳ないけれど、仕方がないかな――)
『彼に嫌われて、部屋を追い出されたらどうするんです?』
「それは考えてなかった――」
そうなったら、新しいルームメイトを探さなければいけない。
自分は今まで出会った人間を思い出す。
生徒会(書記、会計、副会長)は、書記と副会長なら二つ返事で快く承諾してくれそうだが、私の貞操は奪われそうなのと、そもそもどちらかを選ぶと物凄く揉めそうだ。
(修羅場になりそうだし――)
会計は、話をすれば分かってくれそうだが、それでも二人が乱入してきそうだ。
新聞部の人は悪い人ではなさそうだけれど、自分の事をどう思っているか分からない。
知っているが、今日初めて、ちゃんと話をしたような雰囲気だった。
黒魔術研究会は、正直関わりたくない。
「アーノルドさん」
『はい、なんでしょう?』
彼は、返事をする。
「アーノルドさんの能力で、部屋を複製するとか、今部屋を使っている人間を最初から存在しない事にできたりしないですか?」
『こんなに早くに、貴方の担当になったのを後悔するとは思いませんでしたよ――』
彼のその言葉やトーンは重い。
そんな感じで、話をしながらしばらく進むと、懐中電灯の明かりが少し弱くなった。
「電池切れかな、調子悪い――」
自分が懐中電灯を点けた状態で、上下に振る。
分かっていたが、中の水と砕けた魔法石がシャカシャカとシェイクされるだけで、明るさは弱いまま、変わらない。
しかも、その場所が四辻なのが、少々不吉で、不気味さが増す。
「困るよ、マジで――」
『あぁ、それなら――【蒼火】』
指をパチンと鳴らすような音がし、それと同時に青い炎が自分の周りに四つ程現れる。
まるで、人魂のようだ。
「おわわっ――」
私が急に現れたその人魂に慌てると、アーノルドが言う。
『これで明るくなりましたね。さぁ、先に進みましょうか?』
この状況、もし誰かに見られでもしたら、私が幽霊だという事にならないだろうか。
そう思ったその時、誰かが走ってくる音がする。
「――ん?」
気がついたその時には、目の前にその人物がおり、驚き声をあげる。
その人物はローブを着ており、顔は見えない。
体格的には男性だと思うが、あれが例の幽霊だろうか。
すると、急にそれが視界から消えたかと、思うと足の脛に衝撃が走る。
「ちょっ――」
その人物がその場でしゃがみ、自分の足に蹴りを入れたのだと気がついた頃には、自身の体勢が崩れ、尻もちをついた。
(何だ、蹴りを入れられたのか?動きが化け物並みに早いぞ――)
更に、その人物が自分の肩を掴み、床に押し付ける。
――ガツっ!
その際、強く頭を打ち、意識が遠のく。
(デジャブ、まただこの感じ……)
私はまた眠りにつく。
誰かが自分の頬を突く。
「――ポアリ」
その声は自分の名前を呼び、自分の髪を撫でる。
その後、久しぶりと聞こえた気がした。
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