玉之丞の尻尾がペチペチと顔に当たり、マユは目を覚ます。
(思い出した、そうだった……にしても嫌な夢を見たな……後……何故、玉之丞が……)
彼は籠の中で眠っていたはずだと数秒考えるが、理由はすぐ分かる事だろう。
(湿度、凄いな……)
雨が屋根や窓に当たる音がし、肌や着ている服が微かに湿っている。
どうやら、寝苦しくて起き、マユの元に来たが、目を覚まさず、顔の横でふて寝したようだ。
『にゅむ――』
玉之丞が入っていた籠に入れようと彼に触れると、鱗が少し湿っていた。
「ほら赤ちゃん、籠に戻るよ」
『やだ、マユと寝るのー』
手の中で玉之丞がジタバタと手足を動かし、駄々をこねる。
「あー、仕方がないなぁ……」
赤子を扱うように、手拭いで玉之丞を包み、軽く指でお腹をポンポンと叩く。
それが心地よかったのだろうか、玉之丞が船を漕ぎ始め、寝ぼけた鳴き声を出した。
『ねぇ……シラって誰?』
「んー?」
マユは玉之丞に何故、彼女の名を知っているのか問うと、案の定、寝言で名前を呼んでいたらしい。どう説明するべきかと悩んでいた時、玉之丞が寝ぼけながら言う。
『お友達?』
「えーと、まぁ……」
『キヌや悟さんは?』
(寝言の改善って、何所の病院に行けばいいんだろう……)
『だーれ?』
キヌの件ならともかく、悟の件はマユが悪い所がある為、渋る。
「えっとねー、キヌは友達だよ。悟さんは……恋人だった人……」
少し気まずいのだが、玉之丞は聞いてきたくせに、丸くなって眠り始めた。
(別にいいんだけどさ……)
マユもその場に寝転がり、玉之丞の頭に顔をくっつけ、吸う。
「玉之丞、私ね。シラと喧嘩したの……悟さんとも……」
(聞いてないか……)
しばらく、その部屋は静寂が続き、マユはそう諦めかけた、その時、玉之丞が言う。
『んー、僕はよく分かってないけれど、マユが謝ってその人が許さなくても――』
僕は許すよと、彼は口にした。
その瞬間、マユの瞳が開き、潤んでいく。そして、涙が溢れだし、それでもお構いなく、手拭いに包まれた玉之丞に顔を埋めた。
『ぬあー』
「玉之丞が許しても、仕方がないでしょ――」
そう呟き、目を閉じると夢の中で、あのツツジの場所で悟に会った。
「マユさん!」
「ごめんね。今までありがとうね」
鱗が無く、コクーンに乗る前のマユが彼と会った。彼に微笑む彼女はもういない。
この先、彼と歩む彼女は存在しない。死んだのだ。そして、彼女は生まれ変わった。
生まれ変わった彼女は今、小さなドラゴンに顔を押し付けて、眠っている。
*
「クラーケンってタコじゃなかった?もう八本以上は切り落としているんだけど……」
「いいから、切れ!」
浩三は斧を振り回し、四島は愛刀で、クラーケンの触手を切り落としていたのだが、クラーケンの様子が少し変で、今までの法則性があった動きが、切り替わる。
「ん?先輩、何か変だ!」
浩三が四島より先に異変に気が付き、声を出す。
そして、二人の足場である氷に亀裂が入り、崩れるのだが、クラーケンの狙いは彼らではなく、北洋の空母のようで、そちらへ移動する。
「ぐへっ!」
「や、やばい!あっちにはマユちゃんとキヌちゃんが!」
冷たい海水が彼らに覆いかぶさり、体温を奪う。そんな中、浩三が声を荒げた。
*
シラは嫌な女だった。友達なのは最初だけで、若い将校をとっかえひっかえしている悪い奴だ。沢山、人を殺してきた。マユの記憶は、彼女の悪い面しか映していない。
だが、悲しくて、マユの片目から、涙が一滴零れる。
「殺せないよ……殺せない……」
「そう……」
シラはそう呟くと、意識がまだ混濁しているキヌをマユの方に突き出す。
そして、彼女が自身で撃ち抜いた片手で髪を掻きあげる。
その手のひらは魔法陣に穴が開き、それが大きく開けた口のようで気味が悪い。
すると、マユ達がいる空母が傾き、キヌとマユは床を転がり、壁に打ち付けられる。
「な、何っ?」
マユが見たものは、大きな触手で、先程海を漂っていたクラーケンのものだと気が付く。
「さっき、クラーケンの洗脳を解いておいたんだ。空母の爆発で、処分するという話だ」
そう言うシラの方にも、クラーケンの大きな触手が伸び、彼女を捉える。
「し、シラ!」
「後、二分くらいで爆発するし、私は北洋に戻るね」
「えっ?えぇっ?ど、どうやって」
マユはシラが変な事を言った為、驚き声を出すが、彼女は淡々と話をした。
「この体は単純に入れ物な訳。君達は馬鹿だから分からないだろうけど、精神だけ来ているの」
じゃあねっと彼女が言った時、クラーケンの触手が強く、締まり、背骨が折れる音がその場に響いた。そして、その触手は彼女を握りながら、マユが壊した窓から出ていく。
彼女は緊急脱出できたのだろうか、霊力の無いマユには分からないが、肉体と同じようになるのは避けたい。
「マユちゃん、私達も逃げよう……」
「逃げるって何所へ――」
別の窓からクラーケンの触手が、キヌのほうに伸びてきて、マユは拳銃を発砲した。
キヌの手を引き、扉から外に出ると、クラーケンが空母に絡みついており、危機が迫っている事が分かる。
「と、とりあえず、私が乗ってきたコクーンに!」
「えっ、マユちゃん!びぇっ――」
翡翠色のコクーンの操縦席を開け、キヌの体を押し込む。マユ自身も部屋に入ろうとした時、クラーケンの触手が伸び、マユは危機一髪でそれを避け、扉を急いで閉めた。
「ま、マユちゃん!だ、大丈夫!って、うわっ――」
操縦室から外の様子を伺うキヌだったが、運転席の神はマユ以外を拒み、彼女に触手を向けた。透明だった触手は怒っているのか、黒く染まり、キヌに襲い掛かる。
「わっ!あっ!」
キヌがそれに拘束され、全身が包まれた頃。マユのほうは、何発か拳銃を発砲するが、別の触手がコクーンごと捕え、上へ持ち上げ、海上に放り出した。
(強い衝撃は大丈夫と言っても、私はこの怪我だったもんな……)
彼女は大丈夫だろうかとマユが思うが、クラーケンの触手がマユを標的にし、襲い掛かる。
「もう、駄目だ!乗れない!」
マユはクラーケンの触手に追われながら、空母の中を駆ける。
そして、開いている扉が見え、その中に入ると、指令室のようで、有馬で見た通信装置と同じものがあり、そこに爆弾のカウントダウンが数時で表記されていた。
爆発まで一分切ったところで、マユは頭を抱える。
蘇生魔法は、体のほとんどが残っていた場合、可能だが。
切除できないほど、腐っていたり、欠損していた場合は不可能だ。
(海で死んだら、もう蘇生は無理だ。ふやけて、腐る――)
項垂れ、そう思っていると、右手が自分の意思と関係なく動く。
「な、何――」
腕が引っ張られた場所に視線を向けると、そこにはシラがキヌを乗せ、持ってきたコクーンの映像が映し出されていた。
空母の裏側にあるスペース、それはマユの事を待っているようだった。
マユには霊力が無い為、その正体が何か分からない。
マユが乗っていた蛹の神か、それとも北洋の空母がそれに似た何かを乗せていたのか。
この時、初めてマユは神の存在を実感し、それに感謝する事ができた。
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