最終章『終わってから始まる物語』③

 玉之丞の尻尾がペチペチと顔に当たり、マユは目を覚ます。

(思い出した、そうだった……にしても嫌な夢を見たな……後……何故、玉之丞が……)

 彼は籠の中で眠っていたはずだと数秒考えるが、理由はすぐ分かる事だろう。

(湿度、凄いな……)

 雨が屋根や窓に当たる音がし、肌や着ている服が微かに湿っている。

 どうやら、寝苦しくて起き、マユの元に来たが、目を覚まさず、顔の横でふて寝したようだ。

『にゅむ――』

 玉之丞が入っていた籠に入れようと彼に触れると、鱗が少し湿っていた。

「ほら赤ちゃん、籠に戻るよ」

『やだ、マユと寝るのー』

 手の中で玉之丞がジタバタと手足を動かし、駄々をこねる。

「あー、仕方がないなぁ……」

 赤子を扱うように、手拭いで玉之丞を包み、軽く指でお腹をポンポンと叩く。

 それが心地よかったのだろうか、玉之丞が船を漕ぎ始め、寝ぼけた鳴き声を出した。

『ねぇ……シラって誰?』

「んー?」

 マユは玉之丞に何故、彼女の名を知っているのか問うと、案の定、寝言で名前を呼んでいたらしい。どう説明するべきかと悩んでいた時、玉之丞が寝ぼけながら言う。

『お友達?』

「えーと、まぁ……」

『キヌや悟さんは?』

(寝言の改善って、何所の病院に行けばいいんだろう……)

『だーれ?』

 キヌの件ならともかく、悟の件はマユが悪い所がある為、渋る。

「えっとねー、キヌは友達だよ。悟さんは……恋人だった人……」

 少し気まずいのだが、玉之丞は聞いてきたくせに、丸くなって眠り始めた。

(別にいいんだけどさ……)

 マユもその場に寝転がり、玉之丞の頭に顔をくっつけ、吸う。

「玉之丞、私ね。シラと喧嘩したの……悟さんとも……」

(聞いてないか……)

 しばらく、その部屋は静寂が続き、マユはそう諦めかけた、その時、玉之丞が言う。

『んー、僕はよく分かってないけれど、マユが謝ってその人が許さなくても――』

 僕は許すよと、彼は口にした。

 その瞬間、マユの瞳が開き、潤んでいく。そして、涙が溢れだし、それでもお構いなく、手拭いに包まれた玉之丞に顔を埋めた。

『ぬあー』

「玉之丞が許しても、仕方がないでしょ――」

 そう呟き、目を閉じると夢の中で、あのツツジの場所で悟に会った。

「マユさん!」

「ごめんね。今までありがとうね」

 鱗が無く、コクーンに乗る前のマユが彼と会った。彼に微笑む彼女はもういない。

 この先、彼と歩む彼女は存在しない。死んだのだ。そして、彼女は生まれ変わった。

 生まれ変わった彼女は今、小さなドラゴンに顔を押し付けて、眠っている。

「クラーケンってタコじゃなかった?もう八本以上は切り落としているんだけど……」

「いいから、切れ!」

 浩三は斧を振り回し、四島は愛刀で、クラーケンの触手を切り落としていたのだが、クラーケンの様子が少し変で、今までの法則性があった動きが、切り替わる。

「ん?先輩、何か変だ!」

 浩三が四島より先に異変に気が付き、声を出す。

 そして、二人の足場である氷に亀裂が入り、崩れるのだが、クラーケンの狙いは彼らではなく、北洋の空母のようで、そちらへ移動する。

「ぐへっ!」

「や、やばい!あっちにはマユちゃんとキヌちゃんが!」

 冷たい海水が彼らに覆いかぶさり、体温を奪う。そんな中、浩三が声を荒げた。

 シラは嫌な女だった。友達なのは最初だけで、若い将校をとっかえひっかえしている悪い奴だ。沢山、人を殺してきた。マユの記憶は、彼女の悪い面しか映していない。

 だが、悲しくて、マユの片目から、涙が一滴零れる。

「殺せないよ……殺せない……」

「そう……」

 シラはそう呟くと、意識がまだ混濁しているキヌをマユの方に突き出す。

 そして、彼女が自身で撃ち抜いた片手で髪を掻きあげる。

 その手のひらは魔法陣に穴が開き、それが大きく開けた口のようで気味が悪い。

 すると、マユ達がいる空母が傾き、キヌとマユは床を転がり、壁に打ち付けられる。

「な、何っ?」

 マユが見たものは、大きな触手で、先程海を漂っていたクラーケンのものだと気が付く。

「さっき、クラーケンの洗脳を解いておいたんだ。空母の爆発で、処分するという話だ」

 そう言うシラの方にも、クラーケンの大きな触手が伸び、彼女を捉える。

「し、シラ!」

「後、二分くらいで爆発するし、私は北洋に戻るね」

「えっ?えぇっ?ど、どうやって」

 マユはシラが変な事を言った為、驚き声を出すが、彼女は淡々と話をした。

「この体は単純に入れ物な訳。君達は馬鹿だから分からないだろうけど、精神だけ来ているの」

 じゃあねっと彼女が言った時、クラーケンの触手が強く、締まり、背骨が折れる音がその場に響いた。そして、その触手は彼女を握りながら、マユが壊した窓から出ていく。

 彼女は緊急脱出できたのだろうか、霊力の無いマユには分からないが、肉体と同じようになるのは避けたい。

「マユちゃん、私達も逃げよう……」

「逃げるって何所へ――」

 別の窓からクラーケンの触手が、キヌのほうに伸びてきて、マユは拳銃を発砲した。

 キヌの手を引き、扉から外に出ると、クラーケンが空母に絡みついており、危機が迫っている事が分かる。

「と、とりあえず、私が乗ってきたコクーンに!」

「えっ、マユちゃん!びぇっ――」

 翡翠色のコクーンの操縦席を開け、キヌの体を押し込む。マユ自身も部屋に入ろうとした時、クラーケンの触手が伸び、マユは危機一髪でそれを避け、扉を急いで閉めた。

「ま、マユちゃん!だ、大丈夫!って、うわっ――」

 操縦室から外の様子を伺うキヌだったが、運転席の神はマユ以外を拒み、彼女に触手を向けた。透明だった触手は怒っているのか、黒く染まり、キヌに襲い掛かる。

「わっ!あっ!」

 キヌがそれに拘束され、全身が包まれた頃。マユのほうは、何発か拳銃を発砲するが、別の触手がコクーンごと捕え、上へ持ち上げ、海上に放り出した。

(強い衝撃は大丈夫と言っても、私はこの怪我だったもんな……)

 彼女は大丈夫だろうかとマユが思うが、クラーケンの触手がマユを標的にし、襲い掛かる。

「もう、駄目だ!乗れない!」

 マユはクラーケンの触手に追われながら、空母の中を駆ける。

 そして、開いている扉が見え、その中に入ると、指令室のようで、有馬で見た通信装置と同じものがあり、そこに爆弾のカウントダウンが数時で表記されていた。

 爆発まで一分切ったところで、マユは頭を抱える。

 蘇生魔法は、体のほとんどが残っていた場合、可能だが。

 切除できないほど、腐っていたり、欠損していた場合は不可能だ。

(海で死んだら、もう蘇生は無理だ。ふやけて、腐る――)

 項垂れ、そう思っていると、右手が自分の意思と関係なく動く。

「な、何――」

 腕が引っ張られた場所に視線を向けると、そこにはシラがキヌを乗せ、持ってきたコクーンの映像が映し出されていた。

空母の裏側にあるスペース、それはマユの事を待っているようだった。

 マユには霊力が無い為、その正体が何か分からない。

 マユが乗っていた蛹の神か、それとも北洋の空母がそれに似た何かを乗せていたのか。

 この時、初めてマユは神の存在を実感し、それに感謝する事ができた。

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