最終章『終わってから始まる物語』⑤

「今日はマユちゃん、顔色がいいねー。玉之丞もご機嫌そうだ」

 控室で出会ったロビンソンはそう言い、玉之丞に額をくっつけ、挨拶を交わす。

 蒼尾のほうはそれを静かに眺めており、少し気怠そうだ。

『今日はマユの飛行機に乗るのー』

「へぇ、よかったねー。君、酔うと吐くんじゃないの?」

 玉之丞とロビンソンは親しそうに会話をし、蒼尾がそれに加わってきた。

「なら翼を広げて、動かせばいい。だいたいの竜は、平衡器官がそれで整う」

 それを聞いた玉之丞だったが、幼い彼には会話の趣旨がよく分かっていないようで、不思議そうな顔をし、話をする。

『僕、二人みたいに飛べないよ?』

「飛べなくても、翼を動かすだけでいいさ。きっと、楽しい体験になる」

 玉之丞は翼をバサバサ動かし、準備運動をしたその時、特高警察の男性が皆を呼びに来る。

「皆さん、お時間ですよ」

 会場に移動すると、水面にコクーンが用意されてあり、肩の玉之丞は機嫌良さそうに、翼部分に飛び乗った。

「こらこら、一緒に中に入るよ」

 操縦席は西洋乙女と同じ作りだったが、扉は外からでも開けられるように改良され、ニードルは外されている。玉之丞は頭の上に乗っかり、翼を広げ、バサバサと準備運動をする。

「頭の上だと、酔っちゃうんじゃない?」

『肩より、こっちのほうが、安定するからいいの!』

 そう言う玉之丞に片手を伸ばすと、彼は頭を手に擦り付けた。

 竜人の二人は竜の姿になり、高らかに晴天を舞う。

「玉之丞、一緒に頑張ろうね」

『うん!』

 彼が翼を大きく広げ、構えると、客席からカウントダウンの声が外から聞こえ、試合開始のブザーが鳴り響いた。

 翡翠色の飛行機が水上を飛び立ち、竜達を追いかける。

 ペイント弾を発射し、ロビンソンが翼で風を作り、それを撃ち落す。

『いいねー、戦いなれてきたねー』

 そう一言口にした後、勢いをつけ、マユの飛行機に突進をする。

 マユはそれを避け、蒼尾の真横を横切ると、彼は別の飛行機からマユの機体に標的を変え、追いかけてきた。

(迂回すると予想して追いかけてきたな……)

 迂回したタイミングで、強い力で横切られると、機体はバランスを崩してしまう。

『マユ、蒼尾が来たよ』

「ありがとうね。じゃあこうしよっか」

 今日は晴天で、日差しも強い、それを利用して太陽に向かって飛ぶ。

「今日は勝てるよ!玉之丞!」

 蒼尾を目眩ませた後、マユの機体は彼を横切り、水上のギリギリを飛行する。

 すると、それを見ていたロビンソンが玩具を見つけたように、追いかけてきた。

「やばい!少しでもバランスを崩したら終わる!」

『マユ、僕も頑張る!』

「えっ?何を?」

 すると、玉之丞の体が青白く光り輝き、マユの機体に大きな力を与える。

 性能が上がったというのだろうか、スピードが上がり、ロビンソンから距離が離れていく。

「えっ?す、凄いよ!玉之丞!」

 その同時刻、マユの実家では、親子二人が休日で、お昼ご飯の会話をしていた。

「ねぇ、留吉。今日、暑いから素麺でいい?」

「いいよー」

 勇五郎は台所で、棚から素麺のストックを取り出し、留吉は最近購入した小説を居間で寝転がりながら読んでいる。

 すると、留吉の横の神棚が、玉之丞と同様、光り輝き、留吉は驚き、起き上がり、距離を取った。

「うわっ!」

「どうしたの?」

 台所にいた勇五郎は、留吉を心配し、居間に顔を出す。

「父上!み、見た!神棚が光った!」

「お父さん、台所にいたから、見てないよー」

 その時、留吉が凄く驚いていた事は、後で勇五郎から聞かされる。

 すると、試合終了のブザーがその場に鳴り響いた。

「酔ってない?大丈夫?」

『大丈夫!』

 飛行機を水上に停め、玉之丞と外に出る。

 息を吸うと潮の匂いが、鼻を通り抜け、心地が良い。

【では、蒼尾選手とロビンソン選手の検査が入ります!】

 特高警察の男性がそうマイクで会場全体に言い、身体検査が行われる。

『これ嫌いー』

「我慢してください」

 ロビンソンが子供のように嫌がるのだが、特高警察はお構いなしで、一言宥め、あしらう。

 竜の姿の彼は特高警察の男性に、ブルーライトを浴びせられ、大型の計測機器で細かい面積を割り出される。

【身体検査により、竜の体表のペイント弾の面積は13パーセント】

 マユはあまりペイント弾を撃たなかったが、別の選手が結構撃っていたらしく、今回は人間側の勝利となった。

「やったぁ!勝ったよ!」

 選手一同、喜び、抱き締めあう者、背中を叩く者、それぞれ異なる表現で、現在の気持ちを表現した。

「あーあ、負けちゃった」

「お前がマユばかりに気を取られているからだぞ」

「蒼尾だって、そうだったじゃん」

 検査を終えた竜達は、人の姿に戻る。

 彼らはそう言い、尻尾をユラユラと揺らすが、親しそうに視線を合わせ、微笑んだ。

 一方マユは今回の勝利に驚き、声を出せずにいると、桑子がやってきて、声をかけてくる。

「頑張ったね。今日はマユがMVPだよ」

「でも、ペイント弾を撃ったのは、別の選手だし……」

「んー、でもMVPだと思うけどな」

 桑子はあまり愛情表現をするタイプではない。これは彼女なりのマユに向けた気持ちである。

「そ、そっか!」

 そう言われ、笑顔になるマユだったが、肩に乗せている玉之丞がぐったりしている事に気が付いた。

「玉之丞?どうしたの?」

『飛行機から降りたら、酔いが来たみたいで、吐きそうなの……』

「えっ?」

 マユは驚き、周囲を見渡す。選手、スタッフは大喜びで、観覧者達も盛り上がっている。

 ここで、玉之丞が吐く訳にはいかない状況だった。

(エチケット袋はコクーンの中にあるし、最悪機内で吐かせて、掃除しよう!)

 マユは玉之丞を抱きかかえ、濡れたステージを走り出す。

「えっ?橋本さん、どこ行くの?」

 別の選手がマユに声をかけるが、それどころではない。

 停車中のコクーンの前まで、たどり着いたのだが、ステージは水しぶきで濡れており、マユの靴の底が滑る。

「うわっ!あ、あぁぁぁ――」

『ひょわぁぁぁ』

 フットボール選手も惚れ惚れするような、見事なスライディング。

 コクーンを通り過ぎ、ステージの足場も通り過ぎ、水面にその体勢のまま、海水に落下した。

 それを見かねた蒼尾とロビンソンがマユに近づき、心配そうに声をかける。

「大丈夫?」

「私はいいから玉之丞を!」

 二人は海面にいる玉之丞に視線を向けるが、彼は犬かきで泳いできて、ロビンソンはそれを抱き上げた。

「上手に泳げたね」

『うん、お風呂の時に練習したのー』

 平和な二人の傍で、マユはパニック状態になり、水面をバシャバシャしている。

「あ、足つった!し、死ぬ!」

「ほら、捕まれよ」

 蒼尾が尻尾を差し出し、溺れかけているマユがそれを掴み、引き上げた。

「ふぇー、死ぬかと思った……」

 マユがそう言い、息を整えていると、蒼尾が彼女の頭を撫でる。

「よく頑張ったな」

 そう言い、笑う彼の歯は竜人らしくギザギザで、少年らしさが残っていた。

「う、うん」

 マユは照れ、視線を逸らすのだった。

 赤く染まる頬は夏の日差しで焼けたからか、それとも新しい感情が生まれる前兆か、それを見ている玉之丞には分からない。

 玉之丞は、自身を抱きしめているロビンソンの腕に、額を擦り付けた。

 一方、その頃。VIP席に座り、浩三にワインを注いでいるキヌはその光景を眺めていた。

「うん、今日も酒がうまい!美人なキヌちゃんが注いだのもあるけれど、飛行機を見ながら、というのも良いなぁ」

 浩三がそう言い、近くのテーブルに置いている葉巻とライターを手に取り吸う。

「やっぱり、国を守ったヒーローはこうじゃないと!」

(よかった。マユちゃんが生きていて。私たちは見た目が変わっちゃったけれど、中身と良い所は、変わらなくて――)

「そうですね。私のヒーローは勿論、旦那様ですけれど」

 キヌは浩三にそう言い、彼に寄り添い、目を閉じた。

 シラが乗ってきたコクーンの操縦室に入り、状態を確認する。

ニードルの発射装置は、壊れており、医療室近くのガレージに保管していた機体がこれなのだと分かった。

それよりも問題なのが一点、燃料は殆ど使い切っており、離陸するのは難易度が高い。

 滑走している間に燃料が尽きるだろうと、マユは思うが、クラーケンの触手が迫っている事、空母が爆発する事を考えると、迷っている暇はない。

(爆発と同時に、離陸する。その爆風で、飛ぶ――)

 ハンドルを握ると、黒い触手が現れ、マユの体に巻き付き刺す。

「うっ――」

 すると、その部分が硬化し、爬虫類の鱗のように変形するが、マユはこの時気付いていない。

 クラーケンが空母に強く巻き付き、飛行甲板に亀裂が入る。

 頭の中で逆算し、残り時間を割り出し、アクセルを踏み込んだ。

(亀裂を踏まないように!進め!)

 そして、その時が来た。空母が爆発し、クラーケンがその衝撃を受け、絶命する。

「いっけぇぇぇぇ!」

 マユは爆風を利用しながら、離陸し、空に飛び立った。

 マユの意識はそこで途切れるのだが、コクーンはそんなのはお構いなく、誰かが操縦しているように死んだクラーケンの周りを一周し、空母有馬の真横を通過する。

「あの機体、燃料が残っていないはずなのに!」

「あの機体は神様が乗っているんだ。彼の力なのだろうよ」

 空母有馬に乗っていた将校達がその機体を見ながら、笑う。

(マユさん、頑張ったね……)

 その場にいた宮司がそう思っていると、帽子が、海風で吹き飛ばされる。

「あっ――」

「ははは、陸軍に帰ったら弁償だ」

 海軍の誰かが宮司を揶揄い、笑うのだった。

 そして、その横を、タモ片手に佐市が通り過ぎ、海面をプカプカしていた浩三の蚕を掬う。

「捕まえた」

 彼は部下たちとその虫を引き上げ、上質なタオルで赤ちゃんのように包む。

「可哀そうに、温めてあげるね。俺ね、海軍学校時代、炎魔法が学年で、十一番目に上手だったから、安心してね」

 蚕はブルブル震えており、それが凍えて震えているのか、佐市のその発言に怯え震えているのか分からない。

「コクーン内なら、溺死の心配ないだろうけれど、餓死が怖いなぁ。腐敗や白骨なら、蘇生できないだろうし……そういう事で、皆は桑子ちゃんとキヌちゃんをよろしくねー」

 佐市は蚕を撫でながら、そう部下に指示を出した。

「佐市殿!それよりも、父上と四島少将を助けないと!」

「大丈夫。寒中水泳なんて、海軍ならよくやるし」

 佐市は震える蚕を抱きながら、空母の室内へ移動する。

 一方、久は有馬へ蛹と呼ばれた飛行機を送った後、通信室に移動していた。

 久は近くに置いてあった新聞をつまらなそうに読んでいる。

(家に戻るのが嫌だなぁ……きっと修羅場だぞ……)

 すると、通信システムが輝き、装置から光の粒子が柱のように、溢れだした。

 新聞を丸め、通信機の前に久は移動する。

「有馬から通信でございます」

「分かっている」

 すると、その粒子の柱に映像が映し出され、蛹が一機、燃え上がる北洋の空母から、飛び立っていた。

(本当にお前は、無茶な操縦の仕方だな……男かよ……)

 その姿はとても尊く、久には輝いて見えた。

【日猿木少尉、あのコクーンどうします。撃ち落しましょうか?】

「いや、いい。放っておけ」

 有馬にいる空軍の部下にそう言われ、久は上着のポケットから煙草とライターを取り出した。

 煙草に火を付け、マユが乗っているコクーンを眺める。

 その顔は笑顔ではないが満足そうだと、彼と付き合いのある人物であれば、一瞬で分かる事であろう。

 戦争も、西洋乙女も、この日終わった。

(お前は華族の妾よりも、飛行機に乗っているほうが、あっている)

 久が丸めた新聞紙には、見出しにこうある。

【日猿木家四男、伯爵家――長女と結婚】

「今日はいい日になったな、マユ」

 今までありがとうと久はそう呟き、その蛹が見えなくなるまで、通信機の映像を眺めるのだった。

                                  『天空の蛹』完

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