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 第二章『好きな人』⑤

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「『君は自分のようになるなよ』?」

 自分が聞き返すと、肇はそう言う。

「変だよね?勝手に噛んでおいてさ」

 肇は自分の背中に顔を埋め、少しずつ言葉を出す。

「歯形を付けられただけなんだけど、やっぱり気になっちゃうよね……」

 その声は細く、元気いっぱいの明るい彼の声とは少し違うように感じる。

「好きな人や気になる人が出来ても、やっぱり実らないというか……付き合えても、浮気されちゃったり、別の人が出来たとかで振られちゃったり……」

 普段、明るく振舞っているが、実際は思うところがあり、重い現実に対しての不安はあるようだ。

「でも、そのおかげで仕事は出世したけどね」

 ヒートが滅多に来ないからさと、肇はベータの自分に説明する。

「でも、一番ショックだったのは、そうだなぁ……お兄さんに噛まれた事より……」

「――肇君?」

 急に無言になったので、先が気になり肇に訊き返すが、耳に届いたのは彼の言葉ではなく、ただの寝息だった。

(寝ちゃった……)

 自分は片腕が痺れてきたが、肇が背中に顔を埋めて眠っているので、寝返りが打てずにいる。

(眠れないな……)

 肇が小学生の出来事を話したので、自分も色々思い出してしまった。

『結婚したいとかガチじゃん』

『気持ち悪いわ』

 子供の頃の苦い記憶が頭を過る。

『実は僕、春島くんにさ――』

 オメガとの恋は報われない。

 それは分かっているはずなのに、何で自分はこう、自分から関わってしまうのだろう。

 でも、この子は、肇君は自分の事を信頼してくれた。苦い記憶を話してくれた。

 自分はベータだから、恋愛に発展しないかもしれない。

 でも、それでも、大切で清い存在で。

 宗教は違うかもしれない。

 見えている景色も違うかもしれない。

 でも、大切だから。

 一緒にいる未来が、例え存在しなくても。

「肇君、自分はね。肇君が望むのなら、その人を探してもいいよ」

 肇の鼓動が背中に伝わる。

「一緒に解消して貰えるように、お願いもするよ」

 肇ではないので分からないが、その音はとても穏やかで、安心してきたのではないかと、感じた。

「だから、自分の事頼ってきていいよ。甘えていいんだよ」

 そう静かに言った。

『俺は君の味方だからね』

 誰か男性が自分に言った。

 彼の顔、表情は見えない。

 だがその男性は黒髪で身長が高い。

 そして自分の頭を優しく撫でる。

 だが、自分は彼が夢の世界の人物で、現実では存在しない人物だと気が付いている。

(久しぶりに良い夢を見てる)

 目を細めながら、頷き、そっと瞳を閉じる。

 すると、自分の唇に彼の唇が触れた。

 その瞬間、目が覚める。

 ベッドから起き上がると、隣にまだ眠っているベータの姿があった。

「おはよ、先生」

 彼はまだ眠っている。

 昨日の件、自分が彼に過去の事を打ち上げた後。

 自分は途中で説明が面倒くさくなり、眠ったフリをした。

『肇君、自分はね。肇君が望むのなら、その人を探してもいいよ』

 その際、彼が言った言葉がとても嬉しく、夢で出てきた人物が彼だったらなと思う程だった。

「ありがとう。嬉しかったよ」

 起こさないように小さな声でそう言い、彼の額に口づけをする。

 ベータの事を好きになった事はない為、恋かはまだ分からない。

(けれど、素直に嬉しい)

 そう思いながら、再びベッドで横になる。

 彼の服に鼻をつけ、匂いを嗅ぐ。

 柔軟剤だろうか、石鹸と花の香りがする。

 だけど、しっかり男性らしい、体臭が鼻に届く。

(男の人らしい匂いがする……)

 当たり前の話なのだろうが、大人しい彼からするのは意外性があった。

 後、志摩が吸っている銘柄の煙草の匂いもする。

(ふふふ、匂い移ってる……)

 気持ちが浮つく。

(自分はオメガだけど、ベータを好きになってもいいのかな?)

 こんな自分に好かれて、迷惑じゃないかなと考えている間に再び、夢の世界に入る。

 志摩が起こしに来るまでの数十分間。

 その時、見た夢は起きた時に忘れてしまったけれど、それでも幸福な夢で、自分はとても愛おしく感じた。

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