四月の上旬、桜が咲き、入学式を終えた学生達が、青春、恋に心を躍らせていた。
そんな中、インドア派の小学生が始業式後、早く帰ってきたのをいい事に、ごろごろ、ごろごろと――
カーペットが敷かれた床に寝転がり、タブレットで動画を見ている。
「動画ばかり見てると、目が悪くなるよ」
彼の親であるオメガの男性が、ハンドクリーナー片手にやってくる。
「ダメ、今いい所」
「仕方がないな……」
そう言い、彼は掃除機のスイッチを入れ、息子の脇腹を吸う。
「あぁぁぁ、やめて」
脇腹を吸引された子供は、悶え、悲鳴を上げる。
見ていたタブレットは、少年から離され、父親がそれを手にした。
「全く、今の子供は――」
年寄り臭い口調で、男性はそう言い、奪ったタブレットに目を移す。
そこには、漫画家がホワイトボードに、絵を描いたり、お便りを読んだりしている。
そこにいたのは、息子がファンである漫画家と、もう一人。
【ゲスト 『春島 漆』】
男性は、見覚えのある彼に目を奪われた。
*
平日の日中、都内の精神病院。
白い診察室、白い白衣を着た若いアルファの男性は笑顔で言う。
「鬱病ですね」
精神科の先生は、容赦なく病名を言う。
最初は気怠さだった。
それが日に日に大きくなり、そのうち、何も悲しくないのに、泣き出したり、感情のコントールができなくなっていった。
「病院に行こう」
それを見かねた志摩が病院に連れてきたのだった。
「いや、軽度なので、大丈夫ですよー五月病とかあるじゃないですか?それの五月じゃないバージョンみたいなー」
自分は初めてこの病院を受診して、この先生と会話をしているが、凄く苦手だと思った。
「お仕事はー、そうですね。お休みを取れるなら取ったらいいし、ストレスを感じるものは切れるのなら切った方がいい」
この先生がストレスだとも思う。
「心のお薬――いや、抗うつ剤処方するので飲んで下さいねー」
医者がそう言うと看護師が、放心状態の自分を椅子から立たせる。
「後、自殺未遂とかやめてくださいねー貴方の場合、体が丈夫なので、薬を大量に飲んでも、飛び降りても、手首切っても、死ねませんからねー」
そして、自分が上着を着て、部屋を出ようとすると、彼が自分の名前を呼ぶ。
「春島さん」
自分が医者を見ると、彼は真顔で言う。
「――まじで、自殺未遂とか、やめてくださいね」
この病院嫌い、もう来ない。
そう思いながら、待合室で子供のように泣く。付き添いの志摩が隣に座り、自分の頭を撫でる。
タクシーで帰宅した後、電話で担当編集にその旨を説明すると、彼はゆっくり休んでくださいと、承諾してくれた。
「よかったな。仕事休めて」
彼はそう言い、スーツに着替える。
「ごめん。半休取らせて……」
「いや、いい。大事な人がいなくなって、正気のほうが珍しいんだ」
そう言い、志摩は家を出た。
自分はベッドで横になる。
(あー、君と初めて会った時も、具合が悪くて……)
また、インターホンを鳴らして、会いに来て――
(そうだ。もう、君はいないんだった……)
『先生!』
もう声は聞こえない。
この声もずっと覚えている訳ない。
いつか忘れてしまう。
(悔しいよ。自分が憎いよ。何で、人間って、記憶って忘れてしまうの?)
*
出版社で動画配信した後、漫画家二人が、世間会話をしている。
「そういえば、久間先生って、色々な漫画家さんと動画撮ってるじゃないですか?」
誰とのコラボが一番楽しかったんですかと、その漫画家は言った。
「やっぱ、春島先生かな。あの人の作品は、素晴らしい。線、一つ一つが繊細で、無駄がない。背景のパースも一ミリも狂いが無い」
「確かに、あの人が描く女の子はとても良い」
話を聞いていたかなと、久間は思ったが、それは言わず、静かに微笑んでいる。
すると、久間の担当編集が言葉を出す。
「そういえば、春島先生。子持ちのオメガの男性と付き合ってるんだって」
久間の担当編集の女性が言った。
「たまたま高井君の代わりに催促の電話をしたら、お付き合いしているという男性が出て、聞いてもないのに、ツラツラと――」
「「えっ?」」
その瞬間、漫画家二人が乙女のような顔をし、口を両手で押さえる。
「春島先生にも、そんなロマンスが」
久間の声は、とてもキャピキャピしていて、とても喜んでいる事が分かる。
「でも、クリスマス前に会った時、その話をしたら、何か別れたんだって」
担当編集にそう言われ、二人がしょんぼりした顔をしだす。
「別れちゃった……」
「あー、悲しい」
そう二人が声を出すと、その場の誰かが声を出した。
「えーでも、クリスマスにオメガの男性とラブホに入るの、見かけましたよ?」
そう言うのは動画を撮影していたスタッフで、カメラを片付けながら、そう言う。
「えっ?復縁した?」
「凄く気になるんですけど」
そう久間と、もう一人の漫画家が顔を見合わせていると、漆の担当編集がやってきた。
「あっ、高井さんお疲れ様です」
彼に久間が言う。
「高井さん。春島先生って、オメガの男性と付き合っているんですか?」
そう言われた高井だが、彼は渋い顔をした。
「彼、自分の事はあまり話さないからな」
そっかぁと久間がしゅんとするが、高井は思い出したように言った。
「あーでも、この間お邪魔した際、先生と違う大きさの革靴が玄関に置いてあったかも」
漫画家二人の表情がパァッと明るくなる。
「でも、今ロスとかで、鬱病になって、休載が決まりました」
高井はそう言い、その場を去る。
「今ってさ。別れている、で合ってる?」
久間は一緒にいる漫画家と、答え合わせを行う。
「合ってると、思う……」
漆のラブロマンスで盛り上がった後、久間は出版社を出る。
「じゃあ、久間先生。僕、こっちなので」
「今日はありがとう。また、動画手伝ってよ」
そう言い、今まで一緒だった彼と別れる。
(いい天気、春がもうすぐ来ますって感じ)
まだ、日は落ちておらず、これから散歩でもしようかなと、久間は思う。
すると、会社の前で、小学生の男子を連れているオメガの男性を見かける。
そのオメガは、少しソワソワしながら、会社から出てくる誰かを待っているように見えた。
丁度、その話をしていた為、久間は気になり、二人に声をかける。
「あの、誰か待って――」
「えっと……」
そのオメガは、細身で、整った顔、色の白い肌、艶やかな黒髪は絹のようだ。
(オメガやアルファって、何で美形が多いのだろうな――)
そう彼を見ていると、彼は少し警戒したような表情をした。
その瞬間、彼の隣にいた少年が声を出す。
「あっ、久間先生だ!本物だ、本物!」
子供は素朴そのものという見た目で、久間の事を知っているらしく、凄く喜んでいる。
「漫画、いつも読んでます!大好きです!」
「ありがとうねー」
(こういうの見ると、やっぱ動画配信していて、よかったと思うなぁ……)
久間は、彼に微笑みかけ、彼とハイタッチをする。
「あの、動画の人ですか?」
すると、警戒し、鬱陶しそうな顔をしていた彼が声を出した。
「そうですけど」
「春島先生と動画撮っていましたよね?」
そこで久間は、察する。
(あー、そういう事か。この人が春島先生の恋人だった人かー。うんうん、美形だし。春島先生、面食いっぽいもんなー、納得)
そう漆の事をよく分かった風に思うが、実際、漆との接点は殆ど無い。
(漆先生、この人との失恋で、憂鬱らしいし、元の鞘に収まれば、良くなるはず――)
余計なお世話だが、久間は漆の為に行動した。
「もし、嫌じゃなかったら、彼との仲を取り持ちますよー」
久間はそう言い、彼と連絡先を交換する。

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