彼は鍋パーティー改め、カレーパーティーの後、肇が家に泊まる事になった。
「このシャツ大きいね」
「そうか?」
シャワーを浴びた後の、肇の彼シャツ姿にエロ漫画家の自分は大興奮。
(着ているのは、自分のじゃなくて志摩のワイシャツだけど、これはこれで良い)
志摩の無駄に高い、身長に感謝したのは初めてだった。
そして、リビングに客用の布団を敷く。
「ごめんね、リビングで。客間は志摩が使っているからさ」
「全然、大丈夫」
肇はそう言い、自分が布団を敷き終わるのを見守っている。
すると、洗面所で歯磨きをしていた志摩にその会話が聞こえていたようで、部屋から顔を覗かせ、自分達に言う。
「別に客間使ってもいいぞ。俺は漆の部屋で寝るから」
志摩は居候の分際で、立派な事を言う。
それに自分は腹が立った。
「お前、自分のタワマンに帰れよ」
「んー」
そう言うと彼は聞こえないフリをし、洗面所の奥に消えていった。
*
次回の原稿は、ロリ系美少女の彼シャツで決まりだ。
(勿論、歯型も付ける)
ネタの供給に有難がりながら、寝室のベッドに横になり、消灯する。
夢に入る前というのだろうか、フワフワとした感覚のまま、うつらうつらしていると、寝室の扉が静かに開く音がする。
(志摩かな……)
ただ、今の自分にはそれがとてもどうでもよく、対応するのが面倒くさくて、気がつかないフリをした。
誰かが、ベッドの前まで来て、自分の体を静かに揺らす。
「んー、今寝てるから」
寝ぼけながらそう言い、寝返りを打つ。
「ふふ」
誰かの微かな笑い声がし、その声の人物が掛布団を少し捲り、自分のベッドに入ってくる。
匂いは少し甘く、お花と石鹸が混ざったようで、後少し香ばしさもある。
「ん?」
オメガの匂いだ。
「あれ?何で?」
自分が振り返る前に、肇は自分の背後に抱き着き、腹に手を回す。
「寝れなくて、つい。先生は背中、広いね」
肇はそう言い、自分の背中に顔を埋めた。
「くすぐったい……」
肇の鼻が自分の背骨をなぞり、ぞわぞわした感覚に襲われていると、彼が言う。
「僕の身の上話、してもいい?志摩にはまだ言ってないから、内緒の話」
「う、うん」
志摩にはしていないというのは、とても優越感があり、そそられる。
「首の傷、恋人が付けたものじゃないんだ」
彼は自分の首の傷を右手で撫で、呟く。
「えっ?それって――」
「全く、知らない人。ちゃんとした年齢も、名前も、今何をしているのか分からない」
自分が聞き返すと、明るい声でそう話し出す。
「今も彼は、生きている事しか分からない」
オメガとアルファは、ペアになった人が死なない限り、番である事は無くならないという。本能的に分かるとは聞いていたが、自分はベータなので理解できない。
「小学何年生の頃だったかな?三年生とか、四年生とかだった気がする」
彼は過去の出来事を話し始めた。
*
暑い夏の日の出来事だ。
肇少年の背中には青く少し大きめのランドセル。
目を細め、数メートル先を眺めると、アスファルト製の道路から、蜃気楼というのだろうか、靄がゆらゆらと出ている。
「でかい蝉の抜け殻発見した!」
「うわぁ、きもい。それ持って追いかけてこないでよ……」
クラスメイトの男子達のはしゃぐ声が耳に届く。
肇少年が物心ついた時には、父親がいない母子家庭だった。父親は借金をして、蒸発したのだと母親から聞いていた。
「肇、早く」
「あっ、ごめん。待ってー」
肇がそう言い、数メートル離れた男子達を追う。
「あそこの分かれ道まで、みんな競争な!」
肇は何となく、学校の子達の家と自分の家は、少し違うという事は分かっていたが、それでも友達はいた為、不自由はなかった。
肇は友人達と、分かれ道で解散し、自分の住居であるアパートに帰って来た。
「ただいま」
帰宅すると、母親がリビングで化粧をしていて、薄い桃色の口紅を塗っている。
「肇君、お出かけしようか?」
白い純潔そうな丈の長いワンピースを着て、微笑む。幼い顔に、首の後ろにくっきりとした噛み跡が付いている。
そんな母親がとても愛おしい。
「うん」
ランドセルを部屋の片隅に置き、玄関に移動する。
母親と一緒に靴を履き、再び暑い日差しがある外へ出た。
宗教勧誘のパンフレットが入ったトートバックを持ち、空いている手を繋ぐ。
「暑くない?」
「平気」
母親は自分と同じオメガで、温厚でおしとやかな雰囲気がある。
団地やアパートを回り、パンフレットを配る。
まぁ、宗教の勧誘なんて、成功するほうが難しい。
だが、母親は特定の人には需要があった。
インターホンを押し、出てきた中年の男性が出てきた。
「あの、パンフレット配っていて――」
男性はジロジロと母親の姿を見た後、何かを考え込み、最終的には中に招く。
母親がその人の玄関に上がったので、肇も上がろうとするが、彼はそれを拒絶する。
「ガキは駄目だ。ここで待ってろよ」
母親は驚いた顔をした後、頬を赤らめ、静かに頷く。
部屋の扉が目の前で閉まると、微かに母親の声が聞こえた。
「あっ――だ、だめ――」
「話聞いてやるんだから、いいだろ」
「は、はい――」
部屋に移動したのか、それから二人の声が聞こえなくなる。そして、母親が戻ってきたのは一時間ぐらい経ってからだ。
「肇君、ごめんね。寂しかったでしょ?」
「うん、大丈夫」
当時、性知識があった訳ではないが、良くない事が中で起こっているという事は、何となく分かっていた。
だから、部屋で何をしていたのか、聞かなかった。
そんなのばかりだった。
幸せになる為に、こういう活動をしているのに。全然裕福にならない。
「現世ではなく、死んだ後に救われるのよ」
そんな事を言うと、必ず母親は目を輝かせて言うのだ。
それが日常だったある日、肇少年の運命が変わる。
とあるマンションに行った時、大学生だろうか気怠そうな男性が出てきた。
「はい、何ですか?」
「あのパンフレットお配りしていて――」
母親は少し落ち着きが無さそうにしていた。
母親の反応から察するに、彼がアルファだという事が分かる。
「ふーん、宗教勧誘なんだ。子供まで連れて恥ずかしくないの?」
男性はそう言い、細く長い指で自分の髪を掻き上げる。
「話だけでも聞いていただきたくて」
母親はそう言い、男性と同じように髪を掻き上げた。
「聞いてもらえるのであれば、その――何かお手伝いでも――」
頬はほんのり赤く染まっており、男性に少し好意的だと、子供ながらに感じる。
男性は今までの男性らと同じように、何かを考えている顔をした後、決心したのか言葉を出す。
「じゃあ、このガキを借りるぞ」
「えっ?」
母親は驚き、声を漏らす。
「後で、そのパンフレット貰ってやる」
そう彼は言うと、肇の腕を掴み、玄関の中に引きずり込む。
扉を閉めると、男性は急いで鍵を閉め、ドアチェーンを付けた。
「痛い、痛いよぉ!」
大声を出した時、男性の手の力が緩み、肇は距離を取る。
「はぁ……」
彼は肇の姿を見て溜息を吐き、扉のドアスコープを静かに覗いた。
「はぁ……」
更に溜息を吐いた男性の傍で、肇は周囲を見渡す。
何もない部屋だった。
家具や生活家電が無い部屋。
ベッドもソファーも、冷蔵庫も電子レンジも何もない。
窓はあるが、すりガラス製で、しかも外には大きな木があるらしく、光は殆ど入ってこない。とても外から閉鎖された空間だ。
それが小学生には、凄く異様で、不気味だった。
「ねぇ、あの人お母さん?」
男性が肇の目の前でしゃがみ、話しかけてきた。
肇の心臓が痛いくらいに鼓動し、その場にその音が響いているように、肇は感じる。
男性は色々話しかけてきたが、緊張と恐怖のあまり肇は何を話されたのか覚えていない。
「本当に――――」
男性はそう言い、大きな手で自分に触れようとする。
(怖い――――)
(怖い、怖い、怖い!)
首の骨にゴリっとした、歯の感触が伝わる。
それは脊髄にまで伝わり、体が硬直し、痙攣する。
そして、その後、夢を見始めたような、ふわふわとした感覚が脳を支配する。
彼が首の後ろから、口を離すと、唾液と肇の血が混ざったものが糸を引いた。
その時の彼の顔は覚えていない。
ただ、その時、彼が言い放った言葉は肇が大人になった今でも覚えていた。
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