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 第二章『好きな人』④

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 彼は鍋パーティー改め、カレーパーティーの後、肇が家に泊まる事になった。

「このシャツ大きいね」

「そうか?」

 シャワーを浴びた後の、肇の彼シャツ姿にエロ漫画家の自分は大興奮。

(着ているのは、自分のじゃなくて志摩のワイシャツだけど、これはこれで良い)

 志摩の無駄に高い、身長に感謝したのは初めてだった。

 そして、リビングに客用の布団を敷く。

「ごめんね、リビングで。客間は志摩が使っているからさ」

「全然、大丈夫」

 肇はそう言い、自分が布団を敷き終わるのを見守っている。

 すると、洗面所で歯磨きをしていた志摩にその会話が聞こえていたようで、部屋から顔を覗かせ、自分達に言う。

「別に客間使ってもいいぞ。俺は漆の部屋で寝るから」

 志摩は居候の分際で、立派な事を言う。

 それに自分は腹が立った。

「お前、自分のタワマンに帰れよ」

「んー」

 そう言うと彼は聞こえないフリをし、洗面所の奥に消えていった。

 次回の原稿は、ロリ系美少女の彼シャツで決まりだ。

(勿論、歯型も付ける)

 ネタの供給に有難がりながら、寝室のベッドに横になり、消灯する。

 夢に入る前というのだろうか、フワフワとした感覚のまま、うつらうつらしていると、寝室の扉が静かに開く音がする。

(志摩かな……)

 ただ、今の自分にはそれがとてもどうでもよく、対応するのが面倒くさくて、気がつかないフリをした。

 誰かが、ベッドの前まで来て、自分の体を静かに揺らす。

「んー、今寝てるから」

 寝ぼけながらそう言い、寝返りを打つ。

「ふふ」

 誰かの微かな笑い声がし、その声の人物が掛布団を少し捲り、自分のベッドに入ってくる。

 匂いは少し甘く、お花と石鹸が混ざったようで、後少し香ばしさもある。

「ん?」

 オメガの匂いだ。

「あれ?何で?」

 自分が振り返る前に、肇は自分の背後に抱き着き、腹に手を回す。

「寝れなくて、つい。先生は背中、広いね」

 肇はそう言い、自分の背中に顔を埋めた。

「くすぐったい……」

 肇の鼻が自分の背骨をなぞり、ぞわぞわした感覚に襲われていると、彼が言う。

「僕の身の上話、してもいい?志摩にはまだ言ってないから、内緒の話」

「う、うん」

 志摩にはしていないというのは、とても優越感があり、そそられる。

「首の傷、恋人が付けたものじゃないんだ」

 彼は自分の首の傷を右手で撫で、呟く。

「えっ?それって――」

「全く、知らない人。ちゃんとした年齢も、名前も、今何をしているのか分からない」

 自分が聞き返すと、明るい声でそう話し出す。

「今も彼は、生きている事しか分からない」

 オメガとアルファは、ペアになった人が死なない限り、番である事は無くならないという。本能的に分かるとは聞いていたが、自分はベータなので理解できない。

「小学何年生の頃だったかな?三年生とか、四年生とかだった気がする」

 彼は過去の出来事を話し始めた。

 暑い夏の日の出来事だ。

 肇少年の背中には青く少し大きめのランドセル。

 目を細め、数メートル先を眺めると、アスファルト製の道路から、蜃気楼というのだろうか、靄がゆらゆらと出ている。

「でかい蝉の抜け殻発見した!」

「うわぁ、きもい。それ持って追いかけてこないでよ……」

 クラスメイトの男子達のはしゃぐ声が耳に届く。

 肇少年が物心ついた時には、父親がいない母子家庭だった。父親は借金をして、蒸発したのだと母親から聞いていた。

「肇、早く」

「あっ、ごめん。待ってー」

 肇がそう言い、数メートル離れた男子達を追う。

「あそこの分かれ道まで、みんな競争な!」

 肇は何となく、学校の子達の家と自分の家は、少し違うという事は分かっていたが、それでも友達はいた為、不自由はなかった。

 肇は友人達と、分かれ道で解散し、自分の住居であるアパートに帰って来た。

「ただいま」

 帰宅すると、母親がリビングで化粧をしていて、薄い桃色の口紅を塗っている。

「肇君、お出かけしようか?」

 白い純潔そうな丈の長いワンピースを着て、微笑む。幼い顔に、首の後ろにくっきりとした噛み跡が付いている。

 そんな母親がとても愛おしい。

「うん」

 ランドセルを部屋の片隅に置き、玄関に移動する。

 母親と一緒に靴を履き、再び暑い日差しがある外へ出た。

 宗教勧誘のパンフレットが入ったトートバックを持ち、空いている手を繋ぐ。

「暑くない?」

「平気」

 母親は自分と同じオメガで、温厚でおしとやかな雰囲気がある。

 団地やアパートを回り、パンフレットを配る。

 まぁ、宗教の勧誘なんて、成功するほうが難しい。

 だが、母親は特定の人には需要があった。

 インターホンを押し、出てきた中年の男性が出てきた。

「あの、パンフレット配っていて――」

 男性はジロジロと母親の姿を見た後、何かを考え込み、最終的には中に招く。

 母親がその人の玄関に上がったので、肇も上がろうとするが、彼はそれを拒絶する。

「ガキは駄目だ。ここで待ってろよ」

 母親は驚いた顔をした後、頬を赤らめ、静かに頷く。

 部屋の扉が目の前で閉まると、微かに母親の声が聞こえた。

「あっ――だ、だめ――」

「話聞いてやるんだから、いいだろ」

「は、はい――」

 部屋に移動したのか、それから二人の声が聞こえなくなる。そして、母親が戻ってきたのは一時間ぐらい経ってからだ。

「肇君、ごめんね。寂しかったでしょ?」

「うん、大丈夫」

 当時、性知識があった訳ではないが、良くない事が中で起こっているという事は、何となく分かっていた。

 だから、部屋で何をしていたのか、聞かなかった。

 そんなのばかりだった。

 幸せになる為に、こういう活動をしているのに。全然裕福にならない。

「現世ではなく、死んだ後に救われるのよ」

 そんな事を言うと、必ず母親は目を輝かせて言うのだ。

 それが日常だったある日、肇少年の運命が変わる。

 とあるマンションに行った時、大学生だろうか気怠そうな男性が出てきた。

「はい、何ですか?」

「あのパンフレットお配りしていて――」

 母親は少し落ち着きが無さそうにしていた。

 母親の反応から察するに、彼がアルファだという事が分かる。

「ふーん、宗教勧誘なんだ。子供まで連れて恥ずかしくないの?」

 男性はそう言い、細く長い指で自分の髪を掻き上げる。

「話だけでも聞いていただきたくて」

 母親はそう言い、男性と同じように髪を掻き上げた。

「聞いてもらえるのであれば、その――何かお手伝いでも――」

 頬はほんのり赤く染まっており、男性に少し好意的だと、子供ながらに感じる。

 男性は今までの男性らと同じように、何かを考えている顔をした後、決心したのか言葉を出す。

「じゃあ、このガキを借りるぞ」

「えっ?」

 母親は驚き、声を漏らす。

「後で、そのパンフレット貰ってやる」

 そう彼は言うと、肇の腕を掴み、玄関の中に引きずり込む。

 扉を閉めると、男性は急いで鍵を閉め、ドアチェーンを付けた。

「痛い、痛いよぉ!」

 大声を出した時、男性の手の力が緩み、肇は距離を取る。

「はぁ……」

 彼は肇の姿を見て溜息を吐き、扉のドアスコープを静かに覗いた。

「はぁ……」

 更に溜息を吐いた男性の傍で、肇は周囲を見渡す。

 何もない部屋だった。

 家具や生活家電が無い部屋。

 ベッドもソファーも、冷蔵庫も電子レンジも何もない。

 窓はあるが、すりガラス製で、しかも外には大きな木があるらしく、光は殆ど入ってこない。とても外から閉鎖された空間だ。

 それが小学生には、凄く異様で、不気味だった。

「ねぇ、あの人お母さん?」

 男性が肇の目の前でしゃがみ、話しかけてきた。

 肇の心臓が痛いくらいに鼓動し、その場にその音が響いているように、肇は感じる。

 男性は色々話しかけてきたが、緊張と恐怖のあまり肇は何を話されたのか覚えていない。

「本当に――――」

 男性はそう言い、大きな手で自分に触れようとする。

(怖い――――)

(怖い、怖い、怖い!)

 首の骨にゴリっとした、歯の感触が伝わる。

 それは脊髄にまで伝わり、体が硬直し、痙攣する。

 そして、その後、夢を見始めたような、ふわふわとした感覚が脳を支配する。

 彼が首の後ろから、口を離すと、唾液と肇の血が混ざったものが糸を引いた。

 その時の彼の顔は覚えていない。

 ただ、その時、彼が言い放った言葉は肇が大人になった今でも覚えていた。

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