「ただいまー」
汗ダクダクで帰ってくると、エプロンをした志摩が自分に声をかけてきた。
「おかえり。今日はカレーだぞ」
「そりゃあ、匂いで分かるよ」
玄関に荷物を置き、傘立てに入れている靴ベラを手に取り、使用する。
「あっ、漆先生。おかえりなさい」
鈴を転がしたような声に驚き、視線を向ける。そこには、緑色のエプロンを付けた肇の姿がある。
エプロンは自前なのだろう、シンプルで無駄のないデザインで、ほんわかとした彼の印象にピッタリだ。
志摩の横に並び、自分の顔色を窺う彼の姿に胸が高鳴った。
「こっちは匂いで分からなかったな」
「ねっ」
そう返事をする彼の頭を、志摩は機嫌良さそうに撫で、下手な鼻歌を口ずさみリビングに移動した。
それを呆れた顔で見送った後、肇が言った一言が気になり、質問をする。
「えっと、先生って?」
「漫画家先生だから、先生」
編集者関係以外に、そう呼ばれないので違和感がある。
「いや、そんな大したものではないよ。売れっ子という訳でもないし、後、エロ漫画家だし……」
「自分は漫画とかあまり詳しくないけど、一生懸命お仕事して偉いと思うよ」
そう言い、彼は朗らかに笑う。
それがとても愛おしく感じる。
「ん?なーに?」
童顔に丸い瞳がとても愛くるしい。
肇の頭を本能的に撫でる。
髪質は柔らかく、子犬を撫でているかのようだ。
「えー、何?」
「肇君を見ていると、穏やかな気持ちになるなぁ」
無意識で呟いた。
(今日、陽キャに絡まれて、凄く疲れたもんな……)
シャワー浴びてこようと浴室に向かう。
(それにしても志摩、機嫌がよかったな……)
彼の後ろ姿はとてもルンルンで、大型犬なら尻尾をブンブン振っている状態だろう。
(それは肇君がいるからかな……)
志摩は無自覚なだけで、肇の事を気に入っているらしい。
(志摩にも恋人ができるのか……)
妬ましいという訳ではないが、少しモヤモヤする。
(いいなぁ、自分がもしベータじゃなくて、アルファだったら……)
こんな気持ちにならなかったのだろうかと思ってしまう。
*
「何、これ……」
自分がそう声を漏らすと、肇と志摩が自分に話しかけた。
「あー、先生おかえりなさい」
「おかえり、温めておいたぞ」
二人に言いたい、そうではないと。
自分がシャワーを浴びて、リビングに入ると、何故かカセットコンロに土鍋があり、そこにカレー入っていた。
「今日、遊びにきたら、志摩が折角だから、鍋しようと言い出してね」
肇が志摩の事を呼び捨てにしているのが気になったが、まぁそれは追々聞くとして、その鍋からカレーにメニュー変更になった話から確認する。
ここからは肇の話による自分のイメージだ。
志摩が鍋をしようと言いだし、鍋の調理を始めた。
だが、材料を切ったものの、家に鍋のもとが無い事に気が付く。
醤油や酒、みりん、出汁はあったが、それでスープを作るという発想が、普段料理をしない男達には無かった。
「買い物行くのも面倒だし、カレーにしようぜ」
そうなったそうだ。
三人でリビングの背の低いテーブルの周りを囲い、座布団の上であぐらを掻いている。
「あー、なるほど……」
イメージが簡単にできる自分の妄想力を褒め称えたい。
「僕、料理あまりできなくて……」
「でも、美味しいはずだからさ。外回りで汗掻いただろうし、スタミナ付けないと」
志摩がそう言い、皿に白米を乗せ、それにカレーをかけた。
中には鍋の具になるはずだった大根、水菜、人参、肉団子が顔を覗かせている。
それを受け取り、用意されたスプーンで口に運ぶ。
不味くもなく、とびきり旨くもない、ただのカレーである。
(隠し味とか言って何か別のものを入れたな)
ジャムとかコーヒーとか、何か通常のカレーで使わないものを入れたという事が分かるが、何を入れたかは味だけでは分からない。
「美味しい?」
テーブルを挟んで、向かいに住んでいるオメガが自分に話しかけてきた。
「うん、美味しいよ」
「よかったぁ。志摩が色々入れるから、心配だったんだぁ」
そう言い微笑みながら、彼は自分の皿にカレーを取る。
それは少し控え目で、彼の体が小柄な理由が判明した。
「あっ、ちょっと黙るけど、気にしなくていいからね」
そう彼が自分と志摩に言うと、手を合わせ、目を瞑る。
(あー、そうだった。この子の家はカルトだったっけ)
彼のその表情は、とても清らかだ。
目を閉じると元々長い印象だったまつ毛が更に太く強調される。
髪と同じ色素の眉毛の形も良い。
肌は初対面の時より、焼けたのではないだろうか、今の方が濃い気がする。
(美少年の顔をガン見しても変な顔されないのはいいなぁ)
眼福だなと思っていると、瞑想していた彼の瞳が開いた。
「先生、僕の事見過ぎだ、よ?」
疑問形なのは確信が無いからだろうか、その言い方がとても愛くるしい。
ごめんねと謝ると、彼は少し頬を染め、全くと溜息を吐いた。
そして、その後、彼はスプーンで一口、そのカレーを食べると、眉にしわを寄せ、困惑した表情を浮かべる。
それを見て笑うと、志摩が思い出したように何かを持ってくる。
「あのさぁ、これ食べていい?」
見てみると、それは未開封の福神漬け。
赤い着色料の安くスーパーで売られているやつで、体に悪そうだなと思っても、なんやかんやで毎回買ってしまう。
志摩はこれが好きだった。
「好きにしなよ」
そう言うと、彼はウキウキで、封を開け、それを小鉢に移す。
(あー、機嫌が良かったのも、今日カレーにしたのもこれが理由か……)
鍋の調理中に福神漬けを冷蔵庫の奥にあるのを見つけ、急遽カレーにシフトチェンジしたのだろう。
「食べる?」
「うん、食べる」
そんな兄弟のようなやり取りを見て、微笑む。
「なーんだ。そうか」
志摩には、恋愛はまだ早いようだ。
自分がそう言ったので、二人は自分に視線を向け、驚いた顔をする。
「何が?」
そう言ったのは志摩で、自分はその理由を口にする。
「いや、俺てっきり、志摩と肇君が付き合い始めたとか、両思いになったのかなと思ったよ」
すると、志摩は真顔になり、自分にはっきりと言う。
「肇は違う。というか、肇には番がいるだろう?噛み跡があるんだし」
「あっ」
ベータにはそんな秩序存在しない為、頭の中に無かった。
そういえば、初対面の時、はっきり首の噛み跡を見た。
それは肇に、運命を分かち合ったアルファがいるという事。
「肇君、ごめんね。失礼な事言っちゃって」
自分は彼に平謝りするが、肇は無言で、少し考え込んだ顔をしていた。
「肇君?」
「あっ、何でもないよ。何でもない、ははは」
自分の問いかけで我に返ったのか彼は上ずった声を出し、その後誤魔化し笑いをする。
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