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 第二章『好きな人』②

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 目的地付近の駅、その改札に自分の携帯を当てる。

 音が鳴り、決済が終わると、担当編集が自分よりも先に気がついたようで、手を振る。

「あっ、先生こっち」

「ごめんね。付き合わせてしまって……」

 申し訳なさで視線がぎこちなく動く。

「いいんですよ。何とかなったんですから」

 彼はそう言い、歩き出す。

 自分はそれについていく。

「今日は暑いですね。なんか、40度近くまで気温が上がるとか、天気予報で言ってましたよ」

「そうなんだ……」

 自分が緊張して、自分の事を何も話せないでいるのに対し、彼はベラベラと自分の話をし始めた。

「そうそう、最近妹のところに子供が生まれて――」

「……うん」

 天気の話、最近の身の回りでの出来事の話、彼には目も耳も付いてないのだろうか、自分が返事や相槌を悩んでいる事に気がついていない。

「で――それから――」

「…………」

 自分は疲れ、黙り込んでいると、彼が急に立ち止まり、自分は彼の背中にぶつかりそうになる。

「先生」

「わわっ――ちゃ、ちゃんと聞いてたよ……多分……」

 そう曖昧な返事をし、誤魔化すと彼は呆れた顔をして言った。

「いや、僕の話じゃなくて、このビルの三階です」

 どうやら目的地に辿り着いたようで、彼はビルを指差した。

自分がその方を見ると、その建物は少し古いビルだったが、駅から近いのでかなり立地は良い。おそらく、家賃も高額だろう。

(かなり売れてる漫画家じゃないかな……)

 ビルの中に入ると、ひんやりとした空調が自分達の肌を撫で、搔いている汗を冷やしていく。

 エレベーターに乗り、担当がボタンを押す。

 当たり前のようにエレベーターが上昇するのだが、それによって緊張の糸が強く張っていく。

「先生、凄く汗ダクダク――ていうか、心臓の音もこっちまで聞こえるし……」

 担当編集が苦笑いをしながら、自分の顔を窺ってくる。

「なんか……その、怒られたら、どうしようって……」

 不安な気持ちが言葉と同時にどんどん溢れ出し、体が震え出した。

「お菓子だって、お気に召さなかったらどうしようって……」

 その時、ピンポーンと音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。

「先生、とりあえず行きましょうか……」

 普段明るい担当編集も、ナーバスな自分に対し、困ったような表情――いや、引いた表情を顔に浮かべた。

 エレベーターを降り、自分達が出た瞬間、扉がせわしなく閉まる。

 そして、それは下の階に降りていった。

「古いビルって何か嫌ですね。先生のマンションの方が安心します」

 狭い廊下は綺麗に手入れされているが、少し気味が悪い。

 蛍光灯は付いているというのに、少し薄暗く感じるし、冷房も付けられているが、人一人もいないのが、少し現実から離れたような場所という印象がある。

 何かの実験施設のようで、気味が悪い。

 そこを少し歩き、一番奥の扉の前で担当編集の彼の足が止まる。

 扉をノックすると、中から気が抜けたような返事が聞こえた。

「はーい」

 扉が中から開くと、甘い顔をした小柄な男子が顔を出す。

(可愛い……)

 その子はオメガではなく、ベータだったが高校生、又は中学生のような背丈、体型で、瞳が大きく、口角が上がった唇がアイドルグループにいてもおかしくないと思う程だ。

「あっ、高井さん。お久しぶりです」

「こんにちは、この前はごめんね。今日は先生達にお礼の挨拶で」

 そう言うと、彼は扉を開け、自分達を中に招く。

 中に入ると、短い廊下があり、部屋の扉が何個もあるのが見える。

「相変わらず、広いなぁ。春島先生、作業場はもっと広いんですよ」

「そうなんだ……」

 部屋よりも、自分は気になっている事があり、視線はそちらに行ってしまう。

 アシスタント君の左手薬指には、シンプルなデザインの指環がしてあったのだ。

 売れっ子の漫画家のアシスタントになると、年収何千万から億単位で稼げるというが、もしかしたら彼も、その勝ち組なのだろうか。

「あの、春島先生。僕も先生も、そのファンで……先生の単行本持ってきたので、サインとかいただけませんか?」

「えっ?あぁ、いいよ……自分のサインでよければ……価値にならないと思うけど……」

「じゃあ!今、取ってきます!」

 そう言い、彼は自分の荷物を置いている場所に取りに行く。

(なんやかんやで、そう言ってもらえると嬉しいな……)

 最新のコミックを買ってくれたのかと、少しワクワクしながら彼を待つ。

 すると、一室の扉が大きな音を立て、勢いよく開く。

 ――バン!

 自分より少し若い年齢の、眼鏡をかけた男性が現れた。

 金色に染められた頭髪、黒縁の眼鏡、スラリとした手足。

 陽キャの塊のような人間がそこにいた。

「春島先生!」

 初対面の彼はそう言うと、自分の方に走り出し、思いっきりハグをする。

「ずっと会いたかった!」

コミュニケーション能力ゼロの自分は、動揺する。

 というのも、こういう陽キャの極みたいな人間が苦手で避けて人生を歩んできたからだ。

「久間(ひさま)先生、お久しぶりです」

「あー、こんにちは。最近、暑いけど編集部の皆さんは元気?」

「まぁ、まずまずですね。後、春島先生が震えているので、離してもらっていいですか?」

「あー、失礼失礼」

 そう言い、彼は自分から離れ、応接室に通し、接待用のソファーに座らせた。

 少し低めのテーブルを挟み、向かい側のソファーに彼が座ると、先程とは違う男性がお茶を淹れて持ってきた。

「どうも……」

 覗き込むと、それは煎茶で、小さい茶葉が湯呑の中で、くるくる回っているのが見える。

 それを手に取り、息を吹きかけるが、かなり熱く、温度が空気を通り、口元に伝わった。

(火傷しそうだ……)

 飲むのを諦め、テーブルの上に置く。

 そんな中、向かいに座った彼が、自分に自己紹介をする。

「自分は週刊ジャンジャン連載の――その作者『久間』です。趣味は大学生時代からしていた、キャンプとぉ、料理とギターですね」

 自分と違い過ぎる性格というか、リア充ぶりに慄いていると、久間は話の流れで質問をしてくる。

「先生は何か趣味とか?」

「い、いえ……自分は、その……無趣味な人間なので……」

 そう視線を逸らしながら言うと、久間はプラスの方で受け取ったのかケラケラ笑う。

「仕事が趣味ですか、それが一番ですね」

「ははは、そうですね……」

 自分は会話に困っていると、先程のアシスタント君が約束した単行本とサインペンを持ってきた。

「あの、春島先生」

「あっ、サインだね」

 単行本の裏表紙にデフォルメしたキャラと、自分のサインを書く。

「いいなぁ、自分も貰っちゃおうかな」

「久間先生もファンですもんね。今回の春島先生の背景、久間先生がやったんですよ」

「えっ?そうだったんだ」

 週刊誌の売れっ子漫画家に、自分の原稿の仕上げをさせてしまった。

「いやぁ、先生の原稿に携われるなんて、光栄だったなぁ」

「自分の原稿そっちのけで、やってましたもんねー」

 その事実に申し訳ない気持ちになったというか、とても恐怖を覚える。

「本当に申し訳ない」

「大丈夫。自分、ネームと原稿作るの早いから、後アシスタント達も優秀だしね」

 彼の原稿が間に合った事に安堵する。

「まぁ、今度自分が困ったときは、春島先生にお手伝いして貰うので、それでチャラです」

 そう久間が言い、煙草の箱を上着から取り出し、ライターで火をつけた。

「そうだ。先生、また少年誌側に来てくださいよ。自分、先生の王道少年漫画また読みたいなぁ」

 その一言に自分は苦笑いをする。

 悪意は無いのは分かっているが、今の自分にその言葉は鋭利な刃物のように感じた。

(凄く、胸が痛い――)

 彼は自分を仲間のように接するが、実際そうではなく、天と地ほど力量が違っている。

「先生、今度――」

 彼は何かを話し始めるが、今の自分にはそれが入ってこない。

(自分はこの人より劣っている――)

 人間性も仕事の力量も全部。

 自分はこの出会いで、更に自己肯定感が下がってしまった。

(自分はこのままでいいのだろうか……)

 自分は流されるまま、ここまで来たが、そのままの人生でいいのだろうか。

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