肇が機嫌よく鼻歌を口ずさみながら、春島の部屋に向かう。
すると、部屋の扉の前で体育座りをして、煙草を吸っている男性の姿が見えた。
「あれ、志摩じゃん。どうしたの?」
「あー、肇じゃん。何か用?」
彼の周りには大量の煙草の吸殻が落ちており、一晩この場で過ごしていた事が分かる。
「今日、遊ぶ予定だったから来ただけ。志摩は家に入らないで、何してるの?」
「昨日、高校の同窓会で別で帰ったら、漆が帰ってきてなかった。だから、漆の帰りを待ってる」
そう言い、煙草を吸う志摩。
「高校の同窓会だったんだ……で、合鍵は持ってないの?」
「あるけど、ここで待ってる」
「忠犬ハチ公にでもなったの?」
吸殻まみれの180センチはある背丈のハチ公は嫌だろうな。
(後、頑固でいう事聞かないし……)
昨晩からいたそうだが、この階に住んでいる人から見たら、とても恐ろしい化け物ではなかっただろうか。
「漆、まだかな」
すると、志摩の腹が鳴った。
「お腹空いてるの?ご飯行く?」
「うん」
そう言う志摩の両腕を掴み、立ち上がらせる。
「その前に、掃除しようか、吸殻だらけだと、先生にお家追い出されちゃうよ」
「うん」
そう彼は返事をし、合鍵で扉を開けた。
そして、彼は下駄箱の傍にあった塵取りとホウキを持ってくる。
それはお片付けをする子供のようで、とても微笑ましい。
笑みを浮かべながら、掃除をし始める志摩を見守る。
数分後、二人で向かったのは、早朝から営業しているハンバーガー屋だった。
「ねぇ、さっきのカップル、お似合いだったよね?特に、アルファの男の子、モデルみたいだったわねー。私、若返ったかも」
「ねー。朝からデートって仲良くて微笑ましいわぁ」
朝パートの中年女性がそんな風に話しているが、当の本人達には聞こえておらず、仲良く会話している。
「朝にハンバーガーなんて新鮮だね」
「そうだな」
肇は魚のフライのハンバーガーと太いフライドポテト。
一方、志摩は食欲がないのか、照れ焼きバーガーのみで、一口が小さく、中の肉まで届いていない。
「二日酔い?」
「いや、漆の事が気になって」
肇はフライドポテトを摘まみ、志摩に差し出すと、それは勢いよく食いついた。
「ふふっ」
「ん?何だ?」
肇が笑った事に対し、志摩が首を傾げ、不思議そうにしていた。
「何だろう、特に理由はないんだけど。先生と志摩が、仲良いのがとても嬉しくって」
そう言い、肇は食事前のお祈りをする。
お祈りが終わり、魚バーガーを大きく頬張った時、志摩が自分のフライドポテトを一本奪っていく。
「むぐっ、だめだよ。あまり取らないで」
志摩はフライドポテトを口に入れ、何事もなく飲み込んだ。
それは最初から自分が買ったものだというくらい堂々としていて、肇は少し切ない表情になる。
だが、それもお構いなしなのが志摩だ。
「漆はごはん食べられているのだろうか」
そして、先程よりも少し大きい口で、照れ焼きバーガーに噛みつく。
「志摩って、先生の事好きだよねぇ」
肇はそう何気なく口にするが、その瞬間、志摩は驚いた顔をした。
「そうなのかなって、何となく思っただけ」
「まぁ、そうなのかもしれない」
ベータがオメガと結ばれないと同じく、ベータとアルファも結ばれない。
誰もが知っている世の法則だ。
「自分はただ、漆が幸せになるのを一番いい席で見守りたいだけ」
そう言い、志摩はへにゃりと笑う。
普段、無表情の為、温度差が凄い。
そして、志摩の口には微量だがハンバーガーのソースが付いていた。
「志摩、ソース付いてるよ」
そう言い、肇は付いてきた紙ナプキンで、彼の口を拭う。
「むぐ……」
「じっとしててね――よし、取れた」
そう言い、肇は微笑み、汚れたナプキンを丁寧に畳んだ。
それは折り紙のように、角や隅までぴったりだった。
「肇は春島の事どう思ってるんだ?」
何気に解き放った志摩の言葉に、肇は硬直する。
しばらく、その場は無言だったが、数秒後彼は何か察したようで、食べかけのハンバーガーを差し出してくる。
「一口食うか?」
困った顔をしている志摩のハンバーガーを一口貰う。
肇の口に照り焼きソースの甘味が広がる。
もぐもぐと貰ったバーガーを頬張っていると、志摩は言う。
「肇の首のやつ。パートナーのやつじゃないんだろう?」
(こういうところは察しがいいんだから……)
肇はそう思いながら、困った顔をした。
「あー、気づいてた?」
「まぁ、何となくだけど。だってお前、そういう話しないし、男の家に泊まっても心配しないし」
志摩はそう言い、近くに置いてあった灰皿を自分のほうに寄せ、自分のズボンから煙草の箱を取り出した。
(志摩には言いたくなかったのにな……)
志摩は不器用だけど優しい。
「俺、別にお前の事、否定しないからさ。話してほしい。首の事も、春島の事も」
そう言う彼は煙草に火を付け、煙を吸った。
肇は思う。
おそらく、自分に噛み跡が無ければ、番になっていなければ、彼が運命の人な気がする。
ただ、それは遺伝子的な相性であり、魂的なものではない気がするのも事実だった。
(運命とか魂とか、カルトに所属している自分が思うの、とても笑える……)
無理やり噛まれたと肇が口にすれば、彼はその本人を見つけ出し、解除しようとするだろうか。
(そうしたら、自分が先生の事好きな気持ちも無くなるのかな……)
もしかしたら、志摩の事が好きになるのかもしれないと、肇は思ってしまう。
「何で、知りたいの?志摩には関係ないでしょ?自分の事なんて……聞いてて、辛いかもしれないし」
「だって、友達じゃんか」
そう言い、彼はそう言う。
(そうか……)
肇は思う。
彼は少し空気が読めなくて、自分の意思が人より強い。
場合によっては、それを不快に思う人もいるのかもしれない。
でも、クズではないし、思いやりも彼なりだがある。
(警戒する必要は、最初からなかったんだな)
肇はそう安堵し、一息ついた。
そして、話を始める。
「志摩、あのね。実は――」
ハンバーガーショップの中の為、大きい声では言えなかったが、肇は春島に話した内容をそのまま話した。
内容も内容の為、志摩は時々、渋い顔をしたが、話が終わると肇の髪をそっと撫でた。
「大変だったな……でももう大丈夫だから」
それは雑ではなく、非常に繊細で、大切な物に触れるようだった。
それがとても心地よく、肇は目を細めた。
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