序 章 『努力と歩有と転生』

 廊下の開いた窓から、涼しい風とそれに運ばれてきた祭囃子の音が聞こえる。

 それはどこか下手糞で、時々リズムが崩れていたり、音の大きさが一定ではなかったりしていた。

 どうやら、近くの公園で町内の子供達が、来週の祭りに備え、練習しているらしい。

(感心、感心。去年は浴衣着なかったけれど、今年は着ようかな?)

 去年の夏祭りを思い出す。

 私には幼馴染が二人いるので、毎年そのメンバーで行ったのだが、男子だけが浴衣を着てきてしまい、少し気まずかったのを思い出す。

(彼、恥ずかしがっていたし、少しいじけて機嫌治すのに大変だったけれど――)

 でも似合っていたから、良い思い出だ。

 自分達の教室が見え、その彼に声をかける為に開いている扉を覗く。

「大河君、作業終わったよ――」

 覗き込んだ自分達の教室は真っ赤に染まり、いつもとは違う幻想的な、まるで違う世界のような、そんな風に思えた。

 そんな中、男女が机を椅子に雑談している。

 彼女は後ろで髪を一つにまとめており、小麦色に焼けた肌が彼女の活発さを表していた。

 彼女は部活終わりなのか、部活用のエナメルバックに、荷物を詰めている。

 そんな彼女を見て、ほほ笑んでいる男子生徒は身長が高く、手足がモデル並みに長い。

 色素の薄い髪、上品な唇と目尻が垂れた瞳は、人懐っこい子犬のような雰囲気がある。

 ジャンルは違うかもしれないが、美男美女で間違いはない。

 その女子生徒は『ヒカリ』男子生徒は『大河(たいが)』といい、この二人は幼稚園からの幼馴染で、いつも自分を含め三人で行動していた。

 だが、今日はいつもと違い、自分は省かれている。

 彼に頼まれた図書委員の仕事が終わり、様子を見に来てみればこれか。

 更に自分は、少女漫画の告白シーンに使われていそうなシチュエーションに、嫌な予感がしていた。

 というのも、この男子生徒に『今日、図書委員なんだけれど。先生に呼ばれちゃって、代わりに少しの間、図書室にいて貰っていい?』と言われ、この時間まで本の整理を一人でしていたのだけれど。

 ずっと、何時間も。

 騙されていると分かっていても仕事していた理由は、その男子生徒は自分の思い人だったからだ。

 私達は幼馴染でいつも一緒。

 この友情は本物で、皆が一人を思い、一人を皆が思う関係。

 自分は高校を卒業したら、この熱い恋心を彼に伝えようと思っていた。

 だから、今まで沢山努力した。

 小学生の頃は特訓してリレーの選手になったし、高卒の両親から生まれた子供だから、頭が良い家系ではなかったけれど、努力して上位を常にキープしていた。

 容姿に恵まれていた訳ではなかったけれど、清潔感と運動部顔負けの肉体美で、少し男子からちやほやはされた。

 必ず努力は報われる。そう信じて今まで生きてきた。

 教室の様子を窺う。

(何故、私は省かれたのだろう……)

 何となく、分かっていたのかもしれない。

 自分はどうしても認めたくなかっただけで、努力を重ねる事で、目をずっと逸らしていたのだ。

 すると、女子生徒は思い出したように、自分の話をし出した。

「そういえば、歩有。どこ行っちゃったんだろう、メールしても返信ないし」

「そうだね……歩有ちゃん、もう帰っちゃったのかな?」

 彼は少し緊張しているようで、顔や体が強張り、ぎこちない。

 だが、彼女はそのような変化を察する事は出来ないようで、彼にぶっきらぼうに言う。

「帰ろうか、お腹空いてきたし」

 彼女は椅子から立ち、彼に背を向けた。

「ま、待って!」

 その時、鞄を持ち、立ち去ろうとする女子生徒の腕を掴んだ。

「本当は俺の事、どう思ってる?」

 すると、先程まで教室を照らしていた夕日が沈み、教室は暗闇に染まっていく。

 彼女の表情は夕闇に隠れて見えない。

 ただ、返事をする為に口を大きく開けたのは分かった。

 自分はその瞬間、凄くおっかない気持ちになり、鞄を教室に置いたまま、その場から逃げるように走り出した。

 早く、安心できる場所に行きたい。

 この学校から出たい。

 この二人のいない場所に行きたい。

 そう思った。

 中履きを履き替える事をせず、そのまま生徒玄関を出て、コンクリートを踏み込んだ。

 走って、走って、走って――

 前が見えないくらい泣いて、泣いて――

 横断歩道を走りながら、渡った。

 ――リン。

 鈴のような音が聞こえ、瞬きをする。

 私は気がつくと、自分はよく分からない場所にいた。

 いや、空間というのだろうか。

 天も地もない水色の場所に自分は浮いていた。

 自分は先程まで、通学路をただひたすら走っていただけなのだが。

(記憶喪失かなぁ――)

 ここに辿り着くまでの経緯を思い出そうとするが、そこまでの記憶しか思い出せない。

(というか、ここはどこなんだろう――)

 足元など、周囲を確認するが、自分の影は無く、どのくらいの大きさの空間に、今自分がいるのか分からない。

(まるで、ホログラムの中にいるようだ――)

 自分は両腕を精いっぱい伸ばし、グルグルと回す。

 距離感が分からないから、とりあえず、両手を回せるくらいは広いようだ。

(次は泳ぐみたいに足を動かしてみるか――)

 足を動かそうと思ったその時、誰かの声が聞こえる。

『こんにちは』

 それは頭に直接、語りかけるような声で、男性の声だった。

「…………」

『えーと――』

 最初、自分はそれがプログラムだと思った為、挨拶を返さなかった。

 だが、それが凄く困った声で、やっとそれが意思疎通できる何かだと気がつく。

「あぁ、自動音声とかではないんだ……」

 そう気まずい雰囲気で、お互い挨拶をする。

「こ、こんにちは……私は『叶 歩有』です」

『初めまして、貴方の担当の――いや、自分には個体識別名は特にないので『アーノルド』とでも、お呼びください』

 彼の口から、謎のワード【個体識別名】というのが出てきた。

 そこで私は、彼が自分は人間ではない何かという設定かで話をしていると感じた。

「えっとそのアーノルドさん、貴方は何者で、ここは何処です?」

 正直、私は何か、デスゲームや脱走ゲームが始まるのかと思っていた。

 それかドッキリ企画的な。

 本当のデスゲームだったら、非常に困るところだが、とりあえず彼に訊ねた。

 そう、この生命体に。

 すると、彼は自分にざっくり説明をする。

 彼は自分が人間とは違う別の時間軸、別の種類の生命体だと言った。

 そして、ここは彼らが作った亜空間だという。

『まあ、僕達は何というか。君とは違う世界の人というか。別の人類というか』

 この先、分かりやすく彼らを『別人類』と呼ぶこととする。

 彼ら『別人類』は人間というものが誕生する前から存在し、人間の感情をエネルギーとして活用して、経済や生活をしていた。

 人間の数を調整するために、彼らは猿だった人間に知能と文明を与えることにした。

 それが『炎』だという。

 というか、技術を与えたのではなく、遠隔操作で、人間界を鑑賞している別人類が炎を点けたり、消したりしていたそうだ。

 炎を人間の祖先が生み出したという事を奇跡と呼ぶとするならば、彼らは神様に等しい存在だろう。

「じゃあ、貴方達は私達、人間からしたら神様なのでは?」

『いやいや、そんな訳』

 そう話をするが、神様ではないと彼は否定した。

『人間の世界って。何て言ったかな?そう、オイル。それで機械が動くでしょう?』

「あー、油田開発みたいな」

 おそらく、彼らの反応や話を聞く限り、人間は動物というよりも、ガソリンや石油に近い扱いなのかもしれない。

 その文明開化によって、人間が多くなり、コミュニケーションにより、感情エネルギーが生産されるようになった。

 彼らはそれを吸い取り、何不自由無い生活をしていたという。

 だが、感情エネルギーから、新しい別のエネルギーを切り替える事になる。

 そうなると人間とその世界は、用済みである。

 そして、しばらくの間、興味がある少数の別人類以外は、人間の世界を放置していたらしい。

 それから数百年間『人間は感情エネルギーを発散する術を知らない』と、彼らは馬鹿にしていたが、それが覆されることになる。

 電気を人間が生み出したのだ。

 人間の私達から科学的に成り立っているのだが、彼らから見たらそうではないらしい。

『発電機だったっけ?貴方達は分からないかもしれませんが、あれは人間の感情エネルギーを、うまく変換する装置なんだよね』

 そう人間はいつの間にか、彼らと同じくらい賢く。

 たまたまかもしれないが、同じような技術で、感情エネルギーを放出、変換し始めた。

『まぁ、問題はそれが不完全だったという点だけれど』

「不完全?」

 発電機も、それで動いている機械が壊れるというのは、人間からしたら普通なのだが、彼らの世界では、使っていて壊れるという物が存在しないらしい。

『後、その変換装置によって、人間は自分達の脳をコントロールできなくなっている。俗に言うエラー。時々、感情が不安定になった時、変な行動をとるんです』

 彼は、しんみりとした声のトーンで、私がとても驚くことを口にする。

『まぁ、それによって貴方は亡くなってしまったんですけれど』

「はぁ、そうですか――ん?」

 聞き流してしまったが、その後すぐ我に返り、耳を疑う。

「えっ?えぇっ!!」

『本当です』

 平然と彼は、頭を抱えた私に言う。

『感情的になって、信号無視、暴走族のバイクで轢かれたのです』

 確かに感情的だったのは認めるけれど、泣いて走って帰っただけで。

 自殺とかそういう気は、全くなかった訳で。

「それはその、涙で訳が分からなくなっていただけで――」

『それがエラー。我々からするとですけれど』

 彼が言うエラーは、感情が不安定になった時に、理性と別の行動をする事らしい。

 という事は訳が分からなくなって、その場から走り出し、轢かれて死んだ私も彼らからすれば同じ。

『まあ、それは置いておいて、そんな貴方にお願いがあるんですけれど――』

 彼は自分に、淡々とした声で言う。

『僕らは君達の行動や感情のサンプルが欲しい。何故、猿が祖先である人間だけがここまで、質の良い感情エネルギーを生産できるのか。そのエネルギーはどこからくるのか。脳からなのか、精神からなのか、それとも別のものからなのか』

 急にベラベラ話始めたなと思いながら、彼に言う。

「でも、私は死んでいるんでしょ?今、俗にいう魂だけの状態で、どう調べるつもりで?」

 体は無いけれど、人体実験みたいなことをするのだろうか。

 そう思いながら問うと、彼は言った。

『先程、貴方に亜空間にいるのは説明しましたが。それに似た空間、いや生命体がうじゃうじゃいるから、世界と言ったほうがいいかもしれない』

 猿だった頃の人間に、炎を与えた神様に近い存在。

 彼らの技術があれば、生命体も簡単に作る事が出来る。

 世界だってそうだ。彼らなら、簡単に生み出せることが出来るだろう。

 その実験は、所謂、異世界転生に近いのかもしれない。

『勿論、報酬は弾むつもりです。転生後、どういう人になりたいとか、欲しいものを教えてくれれば、用意します』

 自分は実験に協力するとは言っていないのに、報酬は何がいいかと訊ねてくる。

「もし、ここで協力しなかったら、私をどうします?」

『うーん、別にいいのだけれど。自分は転生させるやり方しか、ここから出す手段を知らないんですよね。コンタクトを切った瞬間、貴方はこの場で消失するか、無限に誰もいない、何もない場所をさまよう事になるのかな?』

 彼の声のトーンからは、自分の命の重さをどう考えているのか読み取れなかった。

 ただ、自分がこの場で断れば、彼は了解と言い、簡単に突き放すような雰囲気があった。

「よろこんで協力させていただきます」

 私は戸惑いながらというか、怯えながらそう返事をすると、そんな感情を察する能力が備わっていないのか彼は話を続ける。

『報酬は何がいい?パンフレッド、電子でよければ資料出しますよ?』

 彼はそう言い、私の目の前にディスプレイのような、携帯タブレットぐらいのサイズのホログラムを出した。

(すごい、どうなっているんだろう?)

 自分はそれに触れると、亜空間にある為か実体は無く、自分の指を突き抜けた。

『こら、遊ばない。今、画像出しますからね』

 そこに映し出されたのは、中世ヨーロッパ風の景色で、レンガ造りの家が並んでいる。

 途中から人間界に干渉が少なくなったと言っていたので、この世界を作った別人類は、これくらいの時代で止まっていたのだろう。

 電球を開発したエジソンが子供の頃か、生まれていない年代ぐらいなのでは、ないだろうか。

 そういう事を考えていると、彼が言う。

『宝物でもいいし、家柄とか、血筋とかの形がないものでも』

「あぁ、報酬って、前払いなんですね。しかも、転生後のステータス的な――」

 自分は色々考えてみるが、特に何も思いつかない。

 あまりファンタジーとか、ロールプレイングゲームをした事がない為、何が必要で、あった方がいいとかが分からない。

「私、異世界転生に詳しくないんですけど。何があればいいというか、他の人は何を選んでいるんですかね?」

『やっぱ家柄はこだわる人が多いよね。お金なんて、いくらあっても困らないじゃない?後女の子とかだと、容姿にこだわる子が多い印象かな?』

 そう彼は言い、目の前のホログラムにファンタジーチックな種族の画像が映しだされる。

『長寿や見た目が良いのならエルフとか、力を望むのであればオークとか。あっ、オークとか、あまり見栄えが良くない種族でも、こっちで調整して、綺麗な見た目にすることもできるよ。異種が不安であればハーフとかでも』

「ハーフかぁ――」

『やっぱり混血だと、人間より身体能力が高くなりますよ』

 強くて、見た目が良い事は申し分ないと思うが、生態系が違う生物が両親だと思うと、家庭環境が心配になった。

(両親は日本人同士だったが、仲悪かったし――)

 日本人同士でも仲いい、悪いがあるのだから、別の国や別の種族だと、更に色々ありそうだ。

(エルフと人間じゃ、法律や宗教とか違うだろうし――)

 自分の両親は事ある度、皿やテレビのリモコンが飛ぶ系の大喧嘩をしていた為、自分のステータスの問題で、家族仲が悪くなりそうなのは避けたかった。

「やっぱり、人間がいいかな――」

『そうです?もっと、こだわってもいいのに』

 彼は少し残念そうな声で、私に言った。

「と言われても、よく分からないし――」

『じゃあ、人間だとして、他に欲しいものとか、才能とか?』

「才能――」

 自分は彼のその一言で、今までの人生を振り返った。

 私は今まで、その幼馴染に好かれたい一心で、人生を送ってきた。

 幼稚園の幼馴染なので、物心ついた頃からだと言っても過言ではない。

 沢山、頑張ってきた。

 勉強も沢山して上位をキープしてきたし、それで頭が良かったけれど、志望高校は二人に合わせて、ランクを下げた。

 運動だって、沢山練習して、努力してきたから、陸上部よりも運動神経が良かった。

 部活動の勧誘も沢山されたが、二人と過ごす時間を優先する為、入部することは無かった。

 私、人よりも頑張っていたけれど、他の人たちはそれを認めてくれていたけれど、でもそれでも。

【初めてでも、何でも出来ちゃうなんて、本当にすごいなぁ。憧れちゃうなぁ】

 頑張れて偉いと言われても、才能があるやつには敵わない訳で。

 練習しなくても、勉強しなくても、何でも出来ちゃう人間が必ずいる訳で。

 自分は一人の女子を思い出した。

(まぁ、結局――)

 彼が見ていたのは私では無かった。

「あの、人間じゃない種族とかでも、人間に近づける技術があるんですよね?」

『うん、あるよ?』

 彼が何で私がそういう事を言ったのか、よく分からない雰囲気で返事をする。

「だったら、努力を全くしないで、何でもそれなりに出来て、社会からも優遇されていて、認められている人間に転生できたりします?」

『別にできるけれど、何で?』

 そう言うと、彼はその理由を訊いてきた。

「私、好きな人がいて、その人を振り向かせたい一心で、頑張ってきたんですけど、結局その子は別の女の子が好きだったみたいで――」

『ご愁傷様です』

 自分が死んでここの亜空間にいる為か、彼は何となく察した返事をする。

「やっぱり、頑張っても、評価してほしい人が評価してくれるとは、限らないというか」

 本当は少し悔しいが、そうである。

「何も努力せず、良い感じの生活ができて、更にモテるのなら、それでいいというか……」

 本当は頑張んなくても、才能があって、評価されている人が疎ましい。

 別に二人の事を恨むとかは、決してないけれど、苦しい経験はもうしたくない。

『じゃあ、上手く調整しますね』

 私にそう言った声は、とても淡々としていた。

 その言葉のニュアンスは、使用目的に合わせて、何かの部品を本来のものと付け替えるような、そんな風に感じた。

 そして、その一言の後、すぐに亜空間が歪み、水色の空間にパキパキとヒビが入っていく。

 そこまでは良かったのだが、そのヒビから水が入ってきた。

「えっ、水!?」

 最初はちょろちょろと入ってきていた水だったが、亀裂が大きくなり、その量が大きくなる。

 急に水が亀裂からドバっと入ってきたので、驚き、顔が真っ青になる。

「アーノルドさん!私、金槌で泳げないんです!」

『…………』

「転生後は泳げるようにも――」

 先程から彼に話しかけているが、返事はなかった。

「駄目だ。通信切って――」

 辺りをキョロキョロと見渡し、何か掴めるものがないかと探すが、壁の亀裂から水が流れてくるだけで、何もない。

「あぁ、何でいつもこうなんだよ。私のじんせ――ぶぐぅ――」

 そう言いかけた時、頭に滝を思わせるような量の水が落ちてきて、自分の体が水中に沈む。

 バイクに轢かれたと、アーノルドから聞かされた時、半信半疑で死んだという自覚はなかったけれど。

 この水に沈んでいく感じは、死を思わせる。

(あぁ、死んだわ――)

 目を閉じ、全身から力を抜いていると、水面から物音がする。

――ドボン。

 自分は水中なので鈍い音だったが、それは地上から何かが水に飛び込むような音だった。

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