陽キャ。陽気な人間、その名称をいう。
「春島先生、シャッター切りますよ。さあ笑って!」
売れっ子漫画家が自分の肩を寄せ、編集者が構えたカメラに向かって笑顔を作る。
現在、午後二時過ぎ。
真っ白の壁紙の部屋は、とても無機質で冷たい印象で、そこに事務的な長テーブルと椅子、ホワイトボードがあった。
そして、この無機質な場所に異質な存在のビデオカメラが複数台あり、撮影用の脚立で固定されている。
「公式サイトにアップする写真は大丈夫そう?」
「バッチリです。もう最高」
撮影していた出版社の人間は、満面の笑顔で、自分は少し困惑する。
というのも、ここは出版社の一室で、売れっ子漫画家『久間』がいた。
(急に呼ばれたから、変だと思ったんだよな)
自分は今日、ここに来るまで知らなかったのだが、出版社のほうで、動画配信チャンネルをやっているらしく、そのメインが隣にいる彼である。
「いやぁ、憧れの春島先生と一緒なんて感動しちゃうな」
「そ、そうですか――」
視線を逸らしながらそう言うと、久間はこんな事を口にする。
「本当に嬉しいな」
(やっぱり分かり合えない……)
陽キャと陰キャ、混じり合えない関係がここに存在した。
「先生、笑顔、笑顔」
「あっ、うん」
自分も頑張って笑顔を作るが、それが不器用で不自然な笑みだというのが分かる。
「動画を見ている子がメールフォームにリクエストが届いているから、それに答える感じでイラストを描く感じで」
彼がそう言い、印刷したメールの一部を編集者から受け取り、自分に見せてきた。
「う、うん。了解しました」
それを見て、そう答えると、彼は爽やかに笑いながら言う。
「春島先生、敬語なんてよしてくださいよ。僕、先生よりも年齢もキャリアも下ですよ」
その言葉が自分の心を抉り取った。
(自分より確かに若いけど、君のほうが売れてるんだよなぁ……)
彼の表情は人懐っこい犬のようで、その言葉に悪意はないのが分かる。
(でも、しんどい……)
自分よりも若くて優れている人間がいる気分はこういうものなのか。
(城永君も同じ気持ちだったのかな――)
無意識とはいえ、彼にも悪い事しちゃっていたのかもしれないと、そう思い始めた時、久間が言う。
「じゃあ、先生。テーブル前の席に座って」
*
「今日のゲストは『春島 漆』先生です」
「ど、どうも――」
そうカメラから視線を逸らし、挨拶をする。
「春島先生、緊張してる」
そう言う彼はとても笑顔で、嬉しそうだ。
「そうそう。先生、これがコメントですよ」
自分達が見る用のパソコンは、久間側にあったが、自分に気を使ったのか彼は自分の方に持ってくる。
(どうせ『誰』とかいっぱいなんだろうな)
諦めた表情で、そのパソコンを覗き込むと意外な事に知名度は高かったようで、コメント欄は賑わっていた。
(あっ、意外と知られている……)
まぁ、実際のところ。
『エロ漫画先生だ!』
『この先生のキャラ、しこれるから好き』
『先生、エロいの描いて!』
嬉しいけど、複雑な気持ちになるコメントだらけだった。
「じゃあ、先生。自分、メール読みますね」
久間が届いたメールを印刷したものを、声を出し、読み始める。
そのリクエストに答えるように自分と久間は絵を描く。
「久間先生って左利きなんだね」
「そうですよ。だから、字とか汚くて」
彼はそう答え、笑顔でペンを走らせる。
描いたその線はとても繊細で、自分とは全く違う動きをしていた。
(全然、自分と違う)
神様に愛されている人物っていうのは、こういう人間なんだと、心からそう思った。
自分は絵を描く時、いくつか線を引いてから、余分の場所を消す。
だが、彼が描くものは、紙に存在する前からそこにあるようで、一切余分なものがない。
殆ど、消しゴムは使わない。
余分なものが存在しないのだから。
(この人は、本当に天才なんだな……)
「自分はね。春島先生の漫画を見た時に衝撃を受けて、こっちの道に入ったんですよ」
「えっ?」
「自分で言うのもあれだけど、頭が良くて、容量がよかった。だから、人を尊敬するとか、凄いって心から思えない子供だった」
「勉強も、運動も、音楽も、後は普通に絵も描けたし、でも先生の漫画を見て変わった」
彼が話したのは、たった一つの、くだらない話。
*
とても退屈の十八年間。
親や兄弟よりも優秀の少年は、勿論嫌われ者で、厄介者扱いだった。
「暇だなぁ」
好きな事も目標も無い久間少年は、案の定進路が決まらず、両親を困らせていた。
(もう大人なんだから、口を出すの変じゃない?自分は天才なんだから、お前らより賢いんだから、言う事聞くわけなくない?)
捻くれて、捻くれて、育った少年。
(そんな事を考えられないから、馬鹿なんだよ――)
正直、親の事も舐めていた節がある。
ある時、一冊の少年漫画がリビングに置いてあったのを発見する。
それは妹の私物で、SFとファンタジーが混じったような恰好の男女のイラストが表紙に描かれている。
(オタクってキモイわぁ。引くわぁ)
退屈で仕方がないから、妹を揶揄おう。
(どうせ、いつもの。男同士がキスしてるような漫画なのだろう)
とてもクズな兄である。
コミックを開き、斜め読みをし始めた。
だがそれは、いつの間にか、適当で簡単な斜め読みではなく、丁寧でじっくりのものに変わっていく。
(凄い、この作品――)
思わず息を飲んだ。
そこにはとても生き生きとしたキャラクターたちが並んでいた。
ある程度デフォルメされていて、現実にその子達はいない事は分かっているが、確かにそこに存在し、生きていた。
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