数十分前の出来事である。
一人の少年がスマホの地図アプリと睨めっこしている。
少年の名前は『アオイ』そう城永の一人息子だ。
(考えが甘かったかな……)
アオイ少年はあの後、城永にとても怒られた。
気が動転して、心に無い事を言ってしまい、彼を傷つけてしまった。
(ラジコン、買ってもらったのに……)
漆の優しく微笑んだ顔がアオイ少年の頭を過る。
(ちゃんと謝らないと……)
大体の住所は、父親の話や行動範囲から、割り出せたものの、マンションの名前や部屋の番号は分かる訳がない。
(漫画家さんの家ってどこですかって、人に訊く?)
そもそも、有名な漫画家なのだろうか。
(あの人、近所の人に漫画家していますって、公言しているのかな……)
漆の事を思い出す。
大人しくて、そう周囲に言いふらすようなタイプに見えない。
アオイ少年は悩み、頭を抱えた。
(出直したほうがいいのかなぁ……)
そう引き返そうとした時、誰かの声が聞こえる。
「君、どうしたの?迷子?」
その声は男性のもので、どうやらご近所さんが自分の様子を見て、声をかけてきたようだ。
(あー、この人に聞いて、ダメだったら戻ろう……)
「あの、すみません」
アオイ少年がその声の方向を見ると、そこには小汚いおじさんがいた。
アオイ少年が高飛車でプライドが高いから、汚い不審者のように感じるわけではない。
今冬で、アオイ少年がジャンパーで着こんでいるのに対し、そのおじさんは、汗で黄ばんだタンクトップ、短パン、ビーチサンダルのコーディネートだった。
(うわぁ、生理的に無理なタイプだ……)
禿げているのに全身が毛深いし、太っているし、おまけに脂汗が噴き出している。
(いや、人を見た目で判断しちゃダメ……本当にご近所さんかもだし……)
「君、オメガ?可愛いお顔だね。肌なんてすべすべだぁ」
この発言で、アオイ少年はこの場を逃げるという決断をした。
*
(お父さんじゃない――)
そう思った志摩だったが、その少年は涙目で尋常じゃないと察する。
「やっと――お、追いついた――」
そう言う声が聞こえ、少年からその人物に視線を向けた。
季節外れのタンクトップおじさんだった。
(何で、タンクトップ?)
その声は息を切らしているのか、途切れ途切れだ。
「その子――自分の親戚で――こちらに寄こして貰っていいですか?」
タンクトップおじさんが、下心があるような表情で、少年に視線を向けている。
志摩は少年を確認するが、彼は上着を精いっぱいの力で掴んでいた。
「あの、何でタンクトップなんですか?」
志摩の質問が少し的外れだった為、その中年男性が戸惑った声を出す。
「そ、それは自分が家で着替えている時に、その子が外に出てしまって――」
「苦しい言い訳だなぁ」
志摩はそう溜息を吐く、そして冷たい視線をその不審者に向ける。
「さっき顔、にやけてたぞ」
志摩の瞳が大きく開く、その瞳孔が狭く、小さく、その不審者の姿を静かに映すのだった。
*
不審者は志摩の顔に怯え、漆の家と反対方向に走り去った。
「「気持ち悪い」」
志摩と少年は同時に同じ事を口にした。
少年や少女が性犯罪に巻き込まれるケースは、ニュースで見るが胸糞が悪いものだ。
「驚いた、あの人。結構しつこくて、ダメかと思ったんだ」
「でも、ショックだ――」
志摩はそう一言口にする。
「何が?」
「自分の顔、怖かったんだと思って」
彼はそう言い、足元に落ちたケーキの箱を拾おうとしゃがむ。
「でも、おじさん。僕の事守ってくれたじゃない?素敵だったよ」
「えっ?そう?」
そう言い、志摩は見下ろす少年の顔を見る。
その瞬間、少年は衝撃を受けた。
(な、何この人――顔が良すぎる――)
アオイ少年は、顔を赤らめ、視線を逸らす。
(お父さんとか、おじさんとか、言っちゃったけど、何歳なんだろう……)
年齢不詳の志摩はアオイ少年には、二十代半ばか前半に見えた。
(ダメ、年上の人だよ!恋人とか、いるかもだし!)
アオイからしたら、父親や同級生じゃないアルファは初めて関わるようなもの。
(キュンキュンが止まらない――これが恋なのかな?)
そう思っていると、志摩は立ち上がり、アオイ少年に話しかけてきた。
「君、ここら辺で見ない顔だけど、迷子?」
交番に連れて行こうかと言う志摩に、アオイ少年は首を振る。
「人の家を探してる」
彼はそう志摩に言う。
「失礼な事というか、傷つける事を言ってしまって、謝りに来たというか……」
「へぇ、その人の家は?名前は?」
分かれば案内するけどと言う志摩に、アオイ少年は言う。
「知ってるか、分からないんだけど――」
アオイ少年は、父親の恋人の名前を口にした。

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