第一章 『西洋乙女』③

(なんか、盛り上がっちゃったな……)

 市電の中から見える景色は、街灯が輝き、とても煌めいている。そして、酒を飲みすぎたのか、マユは少し具合が悪い。マユはあの後、悟と百貨店を出て、ダンスホールに行き、一踊りしてきた。ダンスホールなら、公共の場にも関わらず、男女が手を握れるし、酔った勢いで接吻しても注意される事もない。

「マユさん、もう一回キスしましょうよ」

「えー、今日だけで結構しているよ」

 そんな感じで、接吻までだが絡み合い、何回も抱き合い、手を取りダンスもした。市電を乗り継ぎ、自宅のある住宅街にたどり着く。玄関の扉は開いており、マユが機嫌よく、鼻歌を口ずさみ、下駄を脱ぐ。すると、浴衣を着た弟がやってきた。

「あー、留吉。ただいま」

「ただいまじゃない。こんな時間まで、何していた」

 彼は機嫌が悪いのか、眉間に皺が寄っている。

「えー?デートだけど。見る?キスマーク、ははは」

 そうマユは機嫌よく、シャツの襟もとを広げ、冗談を言っていたのだが、留吉が持っている物が視界に入ると、血の気と酔いが引いていくのだった。

 彼は、柄の長い薪割り斧を持っていた。

「な、何持っているの!」

「うるせぇ!門限あんだろうが!何回、破るんだよ!」

 彼がその気になれば、マユの事を簡単に始末できることだろう。

 切りかかろうとしている留吉の斧の柄をマユは必至に掴み、命乞いをしていると、畳んである蚊帳を運んでいる勇五郎が通りかかる。

「二人とも、喧嘩してないで手伝ってよ」

「父上に免じて許してあげるけど、次はないから」

 留吉は落ち着きを取り戻し、斧を下げる。

(命拾いをしたな……)

 蘇生が簡単な世の中になった為、しょうもない事で弟の留吉に殺されかねない。

 マユは冷や冷やしながら、勇五郎の手伝いをする。

「じゃあ、電気消すよ」

「「はーい」」

 二人で蚊帳を用意した後、三人で川の字に布団を並べ、横になった。

 二人はスヤスヤと寝息を立て始め、勇五郎は、瓜二つの横顔を眺めている。

(何所でも寝れるのは、嫁似……)

 マユと留吉は寝つきが良い為、どんな場所、状況でも寝る事ができるのは長所だろう。

(マユちゃんも恋人がいるみたいだし、そろそろお嫁さんに行くのかな?)

 勇五郎は、そう思いながら微笑み、真ん中で眠っているマユの前髪に触れる。

(自分と浩三殿が選んだ娘さん達は、お嫁に行く事はできないかもしれない)

 飛行機に乗るという事は、死と隣り合わせだ。

(国の為とはいえ、残酷な決断をしたな……何で……こんな事……)

 勇五郎は舟を漕ぎ、意識が遠のいていく。

 ――ドン、ドン、ドン!

 早朝、玄関の扉を叩く音で、三人は目を覚ます。

「何、こんな時間に……」

 壁にかけてある時計を見ると、早朝四時を少し過ぎたくらいで、留吉は起き上がるものの、枕を抱えたまま、船を漕いでいる。

「橋本さーん!」

 名前を呼ぶ大きな声は、その場に似つかわしくない。早朝四時の住宅街には、特にだ。

「このままだと近所迷惑になるから、行ってくる」

 勇五郎は欠伸をしながらそう言い、蚊帳から出て、玄関に急ぎ足で向かう。

「留吉、起きて」

 マユは再び眠りそうな留吉を揺すり、声をかける。

「うるさい……静かにしないと打つ」

 留吉がおっかない事を言った時、勇五郎の困った声が聞こえた。

「いや、本人にそこら辺は任せているので……」

「でも、娘さんの恋愛は少しばかり、荒れていると思いませんか?」

 ハキハキとした男性の声が寝室まで聞こえ、内容からマユの事だと分かる。

(何、話しているんだろう……)

 適当な服を着て、勇五郎のいる玄関に向かうと、客人が二人ほどいて、その中の一人がマユの姿に気が付き、声をかけてきた。

「あぁ!貴方が『橋本 マユ』さん?丁度、貴方にお聞きしたい事がありまして!」

 彼は三十代半ばぐらいの見た目で、探偵のような鹿追帽に、白いシャツにサスペンダーという格好だ。もう一人は和装だが、カンカン帽を被り、スプリングカメラを構えている。

その姿で、マユは何者なのか何となく察するのだった。

「私はこういうものです」

 そう言い、名刺を渡してくるのだが、やはり記者で、マユの顔色が青く、悪くなっていった。

「全国紙『帝都新聞』と週刊誌『初夏』の二足の草鞋でやらせてもらっています」

「はぁ……」

 マユは名刺を二枚渡され、見てみると、同じ出版社で、同じ名前、確かに掛け持ちしている。

「マユさんの恋愛事情について、伺いたくて来た次第です」

 マユは、百貨店内の純喫茶で、よく遭遇する男性客達を思い出す。

(あいつらか……タレコミしたのは……)

 この男性とマユは初対面だった。という事は、純喫茶でよく会う男性集団に別の記者がいたか、小銭稼ぎの為に一般人がマユ達の事を売ったのかであろう。

「やはり、あれですか?華族の男性との恋は、やはり乙女チックなもので?どちらから交際の申し込みを?」

「あっ、いや……その……こ、困ります……」

 こういう事に慣れていないマユが、視線を泳がし、言葉を詰まらせていると、声が聞こえる。

「マユ!早く!」

 すると、軍服に着替えた留吉が手を掴み、引いた。留吉は急いで着替えたのか、シャツのボタンが掛け違えており、頭も寝ぐせでボサボサだった。そのまま、廊下を走り出すと、カメラのシャッター音が聞こえ、カメラのフラッシュも瞬いているのが分かる。

「裏口に自転車があるから、それで逃げる。陸軍基地なら、誰かいるはずだ!」

 そう言い、裏口から出て、自転車を二人乗りする。

「よろしくね」

「昼ご飯、奢ってくれよ」

 そう言った留吉が全力で漕ぎ、マユはその後ろで、彼の腹に手を回した。

 マユと留吉は、まだ知らない。正午、帝都新聞の号外が駅前で配られる事を。

「はい、申します。申します。叶虎陸軍基地です」

 陸軍基地の電話に佐倉や他の将校が出る。

「えっ?はい、すみません。できる限り、対応はさせていただきますので……」

 基地の電話は鳴りやまず、そこにいる将校達は疲れで窶れていた。

「家にもうしばらく帰れないなぁ……」

 陸軍基地の応接室で、マユはそう言い、天井を見上げる。

 すると、宮司と名乗った少尉がマユと留吉に、緑茶を淹れて持ってきた。

「いやぁ、電話は鳴りやまないですね。はい、お茶どうぞ」

 湯呑を渡されたマユは受け取り、火傷しないように息を吹きかけ、冷ます。

 一方、マユの向かい側の留吉は、しかめっ面で、テーブルに置かれた号外新聞と、同時刻に臨時発売された週刊誌を眺めている。

「何だ。この記事は……」

 帝都新聞 号外。『侯爵家【日猿木 四男】身分違いの大恋愛』

 侯爵家四男が、陸軍大佐【橋本氏】長女とのラブロマンスという、見出し通りの内容だ。

 そして、週刊誌の方には、早朝、自宅玄関で撮られたマユと留吉の写真が載っていた。

 その内容は無理のあるでっち上げで、見出しはこうだ。

『お騒がせ。陸軍大佐橋本氏長女 新しい恋』

「ふざけんなよ!あの記者、早朝に家にやってきて!」

 留吉は癇癪を起し、発狂した大声を出している。

「早朝に写真撮って、記事作って、発売するって、もの凄い早さですね」

「まぁ、スピード勝負なのでしょうね。何せ、旬ですから」

 宮司はそう言うと、自分用の湯呑に余った緑茶を注ぐ。

「あと、殺害予告も来ているみたいですよ。でも大丈夫。仮に殺されても、蘇生できるので」

 宮司はそう言い、その場に立ったままそれを口にする。

(この人、図太いなぁ……)

 マユは癇癪弟を無視し、新聞の記事に目を通す。

(悟さん、侯爵家だったんだ……)

 侯爵家というと、帝室との関わりも大きく、政略結婚も多いと聞く。

(身分的に無理ではないかな……)

 悟の事、過去の言動を思い出す。悟はマユと結婚を前提に交際を申し込んだ。その軽さからマユは、彼は華族だが、低い身分、男爵か、高くても子爵くらいだと思っていた。

 マユは思う。彼に悪意はなくても、純愛のつもりでも、正式には妾として傍に置くつもりだったのではないかと。

(そうか――)

 マユは死んだ瞳で、新聞記事を眺めると、そこには勇五郎の事も書いており、お茶を美味しそうに飲んでいる宮司に尋ねる。

「あの、この『西洋乙女』って何ですか?」

「あぁ、それは……」

 宮司がマユに説明をする。

『≪中略≫彼女の父、陸軍大佐である【橋本勇五郎氏】は、西洋乙女を提案した人物であり、今後も帝都新聞は彼らを追う』

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