志摩は自分の事を心配して、半休を取り、戻ってきたのだという。
本当にベストなタイミングだった。
弁護士が仕事用の名刺を彼に渡す。
「へぇ、志摩さんって弁護士をしているんですね。勉強とか大変だったでしょ?」
「いや、全然」
彼はそれを受け取ると、安堵したように息を吐いた。
「後、コイツがそんな悪い事できる器量じゃない事は、自分が証明する」
「弁護士さんが言うのなら、安心ですね。すみません、取り乱してしまって……」
彼は申し訳なさそうに、笑みを浮かべる。
「本当にごめんね」
志摩が買ってきたプリンの外箱を開け、中から保冷剤とプリンを取り出す。
プリンは四つ入っており、彼に出せそうだ。
「えっと……お詫びと介抱のお礼にならないかもだけど、プリン食べてく?」
誤解が解けたとはいえ、迷惑をかけているのは確か、自分は言葉を選びながら、そう話しかける。
慎重に、慎重にだ。
「えっ?でも……」
彼は自分にそれを言われて、少し悩んだ表情を一瞬顔に浮かべるが、それを見た志摩は呑気な顔で言う。
「食べてけば?」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて頂こうかな」
そう言い、志摩と一緒にテーブルの傍に移動し、行儀よく正座する。
「ほら、座布団」
「あ、ありがとうございます」
志摩は座布団を彼に渡すと、灰皿を用意してないのに関わらず、ズボンのポケットから煙草とライターを取り出す。
「ちょっと!煙草吸うのなら、換気扇の前って約束でしょ!」
コンロ前の換気扇を付け、回す。
「だっけ?」
「ほら移動する!」
そう言うと、彼は怠そうな顔をし、キッチンに移動する。
自分が冷蔵庫から、麦茶を取り出し、コップに注ぐ。
「俺はコーヒー」
「はいはい」
無一文のくせに、居候のくせにと思ったが、彼の件を対処してもらったので、仕方がなくいう事を聞く。
「はい、どうぞ。えっと……」
そう言えば、彼の名前を聞いてなかったなと思い、言葉を詰まらせる。
「『元井 肇(もとい はじめ)』です。名前は難しい方の漢字で、筆みたいなやつ」
「そうなんだ。えっと、自分は――」
ここで自分は、彼が宗教勧誘でうちに来た事を思い出す。
「もう、家もバレてるし、名前を教えても問題ないだろう。何かあれば、俺が守ってやる」
換気扇の音と共に、志摩の声が聞こえ、そこを見ると、彼は鼻と口から煙を吐いていた。
彼の呑気さというか空気の読めなさで、少しその場が和む。自分の名前を教えると、彼は流れで自分の職業について尋ねてきた。
自分は、今死ぬのだ。
小学生の頃の公開処刑を思い出しながら、内容は伏せ、漫画家をしていると話をする。
「そうなんだ。漫画はあまり読まないけど、新聞に載っているやつは、好きでよく読むんだ。どんなやつ?本名でやってるの?名前を検索すれば、画像とか出てくる?」
彼はそう言いながら、自分の本名を検索し始める。文字を入れるその指裁きは立派なもので、とても早く、華麗であった。
そして、自分の人権は剥奪された。
自分は初めて知ったが、今電子書籍のウェブアプリを入れると、三巻分無料だったらしい。
そうだ、三巻分がっつり、彼に漫画の内容を見られてしまった。
彼に自分がムッツリだとバレ、その場が気まずい雰囲気で満たされる。
「――じゃあ、そろそろ帰るね」
「う、うん……」
彼は顔を赤らめ、自分から視線を逸らす。
この反応を見ると、オメガの美男子が恋愛対象だという事も、多分バレている。
玄関の鍵を開け、彼を見送る。
六時を回っているのに、外は明るく、夏なんだと思っていると、彼が言った。
「あの、また遊びに来ていい?」
「えっ?」
彼が発した言葉に驚き、声を漏らす。
すると、彼は恥ずかしそうに髪を指で掻く。
「宗教勧誘ではなく、お友達として」
「あ、うん。そうだね、また遊びにおいで」
自分の返事を聞き、彼は子供のような笑みを浮かべた。
(やはり、彼は違う……)
普通の人だ。
あのお兄さんとは違い、彼には意思があり、優しくあり、空気を読める。
(君は何故、そこにいるの?)
自分にも志摩にも、宗教の話を一切しなかった。
神様なんか信仰しなくても、愛される器を君は持っている。
彼は体の向きを変え、自分に背を向ける。
彼の首にはしっかりと付けられた歯形が見え、自分は我に返る。
(そうだった……)
彼には宗教うんぬんではなく、もうパートナーがいる。
必要とされていないのは、自分だ。
すると、部屋の奥から志摩の声が聞こえる。
自分を呼んでいるようで、自分は戻り、玄関の窓を閉め、鍵をかけた。
リビングに戻ると、志摩が換気扇の傍に立ち、プリンを食べている。
「立ちながら食うなって、行儀悪い……」
そう言うが、彼はテーブルの方に向かわず、そのまま。そして、ぼそりと話をした。
「さっきの、いい子だったな」
「そ、そうだね……」
彼から視線を逸らし、誤魔化すようにテーブルの上の温度計を手に取る。
電源を入れ、脇に挟む。
お互いしばらく無言で、その場は何故か、少し気まずい。
数分後、その静かな空間に無機質なアラーム音が響き渡る。
「あっ、熱下がってる」
体温を測ると熱は下がっていた。
志摩は得意げな顔で「自分のおかげだな」と言い、空の容器を洗わず、ゴミ箱に入れた。
「プリンで治ったんじゃありませーん。彼が介抱してくれたからですー」
それを適当にあしらい、自分の携帯電話のランプが光っている事に気がつき、メールを確認した。
(こっちも大丈夫だったっぽいな……)
それは担当編集からで、原稿の件何とかなりそうだという。
(担当にも、原稿を代行してくれた人にも、お礼しなくちゃ……)
買って渡すお菓子や、日程を考えていたら、再び頭痛と目眩がし始めたので、考えるのをやめた。
コメント