冬は、日が落ちるのが早い。
寂しい、嫌い。
大好きな人がいないのも悲しい。
好きな人が悲しんでいるのは、もっと――
スーツを着た一人のアルファが、総合病院内を走る。
「漆!」
薄暗くなった病院の廊下にある長椅子で、一人の男性が項垂れていた。
放心状態だったのか、志摩に気がつくのが少し遅く、数秒後やっと漆は顔を上げた。
「――あっ、志摩。ごめん、連絡遅れちゃって……」
志摩はあの後、ずっと肇を探して、彼が行きそうな場所、今まで行った事がある場所、知り合いに訊いて回っていたという。
「すぐ、連絡できればよかったんだけど」
漆は先程、肇の血液が付いた手のひらを眺める。
血は今付いていないはずだというのに、まだ赤く染まっている気がする。
「肇は――」
志摩が言葉を出す。
漆は大粒の涙を流し、一つの部屋を指差す。
そこは、霊安室だった。
「そっか――」
志摩はそう呟く。
志摩は漆にその後、言及しなかった。
「とりあえず、もう帰ろう……このまま、ここにいても皆に迷惑になる」
「うん」
志摩はそう言い、来た方向に歩き出す。
漆は歩き出すが、時々立ち止まり、後ろを確認した。
「帰るぞ――」
志摩は、静かに声を出す。
その声が薄暗くなった病院の廊下に、響き渡った。
「うん、帰ろう――」
もう涙は枯れ、目がバキバキに開き、反動からか口角が、気持ちが悪いくらい、上がっている。
(あー、自分。おかしくなってる……)
漆は、ただ思う。
(おかしくなってるのなら、彼の声を嘘でも、本当じゃなくてもいいから、聞かせてよ)
彼の声は聞こえない。
彼が自分達を追って、駆けてくる事も、呼び止める事も、一生無い。
*
『この度は、大変申し訳ありませんでした』
教祖の子供だというベータの男性と女性が数人、複数のカメラに深々と頭を下げる。
「やっぱり、解散は無しか……」
自分とテレビを見ていた志摩がそう言葉を出し、煙草を吸う。
もう季節は三月中旬になろうとしていた。
あの後、教祖が逮捕されたのと、肇の母親の刺殺事件があった為、マスコミが大きく報道した。
今回の記者会見で解散宣言があると思われたが、名前を変え、教祖が変更になるという対応がされただけ。
宗教団体は、継続する事が決まる。
(この人達は何を思っている。何が幸せだ、被害者がいるんだぞ……)
自分も志摩もそれを見て、やるせない気持ちになる。
あの後、母親は自殺した為、容疑者死亡による書類送検として処理された。
そして、彼の遺体は事件性がある為、警察が検視を行い、その後遺族に戻される事になった。
彼には親族がいなかったが、葬式は知り合いがお金を出し合い、教会で行う事になる。
その後、火葬場で焼かれたが、その遺骨は自分達のほうに来る事はなく、宗教団体の誰かが引き取った。
「裁判するか?」
「いや、いい――多分、勝てない――」
彼との関係を証明するものは、今の自分に一つもない。
(何で、自分には恋人だって証明するものが、無いんだろう……)
彼と過ごした思い出は、数えきれないほど沢山あるはずなのに。
すると、インターホンが鳴り、自分は玄関に行き、扉を開ける。
「春島君、大丈夫そう?」
「あっ、大家さん」
そこには、ピンクのエプロンを着たヨボヨボの老婆がいた。
「なんか、すみません。ご迷惑をおかけして」
「いいのよ。にしても、嫌な事件だったわね。でもあの子は、大好きな春島君と会えて幸せだったはずよ」
大家さんのその言葉に、自分は涙ぐむ。
「あの、これ。もしかしたらと思って、持ってきたのだけど……」
大家さんが自分に何かを差し出した。
それは、携帯電話だった。
落としたのか、それはボロボロで、側面部分に傷が何個もあるが、間違えない。
「肇君のだ……」
それを震える手で受け取る。
(何故、ここに……)
警察が結構マンションを調べていた為、遺留品は回収されていると思った。
どう潜り抜けて、今ここに存在するのか。
「なんか、マンションの子供が携帯を拾って、そのまま持っていたらしくて……」
マンションの幼児が拾って、おままごとに使っていたのを、慌てて親が大家さんに届けにきたという。
「拾ったお子さん、雑に扱っていたみたいだから、傷だらけになっちゃって」
そう言い、その子供の親からだと、菓子折りを渡してきた。
「充電とか切れていたから、データとかは無事だと思うって話だけど」
そう言う大家さんは、とても申し訳なさそうだ。
「ありがとうございます。何も、彼の物が自分のところに来なくて、寂しかったんです」
お礼を言い、大家さんと別れた。

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