オメガの就活は、過酷である。
体質上、体調を崩しやすかったり、妊娠、出産で産休、育休を取る可能性を考慮されるからだ。
肇は、キャリアセンターに通い、求人情報を見ていくが、高卒で、資格不要のもので、正社員が殆ど無い。
(あー、自分って恵まれていたんだな……)
オメガというだけで、応募資格が無いものもある。
(とりあえず、今日は出直そう……)
肇は気分が悪くなり、とりあえず帰宅する事にした。
ビルを出て、外を歩く。
平日のお昼だという事もあり、サラリーマンやOL、お年寄り達が出歩いている。
それが少し、精神に効いた。
(どうしよう。脱会だけして、仕事だけ続けられないものだろうか……)
しょんぼりしながら、横断歩道を渡る。
(再就職できなかったら、どうしよう……)
『大丈夫、再就職できなくても、お家の事、してくれれば――食事前にテーブルを濡れ布巾で軽く拭くだけでいいんだよ』
肇の頭に甘やかす、人をダメにする言葉が響く。
(ダメ。志摩は弁護士だから、いいけど。無職で居候はダメ)
一度ヒモになってしまったら、もう二度と、就職できない。
肇はそう思いながら、首をブンブン振る。
(再就職……ヒモ……)
そう思いながら、無心で歩く。
歩く、歩く……
無心で歩いているうちに、ビルだらけの場所を抜け、景色が住宅ばかりになっていく。
(あっ、道。間違えた……)
気がつくと、漆が住んでいるマンション付近の景色になっている。
(とりあえず、先生の家に行って、よしよししてもらおうかな?)
それでやる気が戻るかもと思っていると、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が鳴り響いた。
(誰だろう……)
肇はポケットから携帯を取り出し、相手を確認する。
そこには『志摩』と表示があった。
(志摩が電話をかけてくるなんて、珍しいな、どうしたんだろう……)
「はい、もしもし」
「肇!よかった、無事で!」
肇が出ると、彼はキャラに似合わないくらい焦った声を出していた。
「とりあえず!一人になるなよ!母親から電話が来ても、出るな!場所は教えるな!」
「えっ?どう――」
肇が彼の話の状況が飲めず、訊き返そうとした時、誰かが駆けてくる音が聞こえ、その方向を見る。
それは一瞬の出来事で、肇は何が起こったのか、全く分からなかった。
ただ、脇腹が熱く、次第にそれが激痛に変わっていく。
目の前にいたのは、肇の母親だった。
それを見た通行人が悲鳴を上げ、恐怖が周囲に伝染していく。
その光景は、蜘蛛の子を散らすようで、その場に誰も残らない。
(あー、そうか。多分、そうだ……)
肇の父親は、自分達を捨てて、蒸発した。
肇の母親の首には、まだ噛み傷があるのを見ると、彼はまだ存命である。
それが彼女をずっと呪っていた。
精神を蝕んだ。
そんな中、宗教にのめり込み、そこに居場所を求めた。
「肇君が悪いのよ。お父さんみたいに、お母さんを捨てようとするから……」
彼女はそう言い、肇の脇腹に刺さっている包丁を抜いた。
「教祖様も嘘つきだし……」
「うっぐ――」
肇は痛みで思わず、その場にへたり込む。
着ている服に血が滲んでいく、痛みも大きくなっていく。
「肇、地獄で会いましょうね」
そう言い、母親はその包丁を自分の首に当て、そして――
肇の顔面に彼女の血が、勢いよくかかった。
*
脱いだ上着で、顔の血を拭い、それを腹に移動させ、傷口を強く押さえる。
歩き出すが、出血のせいか、その足は重く、体温が下がっていった。
首の後ろの傷がジンジンする。
それが熱を発している。
自分の死で、番の契約が解ける。
ずっと、望んでいたはずなのに、何故か寂しい。
(そっか、もう自分は……死んでしまう前に、先生に……)
漆のマンション前に辿り付き、エレベーターのスイッチを押す。
エレベーターは幸いすぐに着き、扉が開いた。
三階で降り、漆の部屋の玄関前に辿り着く。
もし、今出てきたのが志摩だったら。
番が解除された今、志摩を見て、好きになってしまったらどうしよう。
漆の事を好きな気持ちが、彼に切り替わってしまったらどうしよう。
そう思い、インターホンを押せずにいた。
(先生、僕。自身がない……)
死んでしまうのに、一歩の勇気が出ない。
視界が白濁してきて、視界がぼやける。
すると、タイミングよく扉が開いた。
(あっ――)
大好きな人が目の前にいる。
彼は志摩が忘れていった弁当箱を持っていて、彼にそれを届ける為に、玄関の扉を開けたようだ。
「せ、先生」
「えっ?肇君」
彼はいるはずのない人間が目の前にいて、凄く驚いている。
(よかった、好きなままだ……)
自分は押さえていた傷口から、手を離し、彼に抱き着いた。
血の付いた上着が足元に落ちる。
その瞬間、痛みが消え、自分は背伸びをし、愛おしい彼に口づけをする。
彼から唇を離し、言葉を出す。
「よかった、よかった――」
涙が溜まり、大粒の雫がボロボロ、足元に落ちていく。
「どうしたの?何か――」
自分がいきなり抱き着いた為、彼は動揺している。
彼が自分の腰に戸惑いながら、少し触れた時、彼は声を思わず出した。
「――えっ?」
彼の手に自分の血がべったり付着した。
それを見て、彼は驚愕している。
「先生。僕の運命の人は先生だけだよ」
それは彼が別の人を好きになっても、この先の未来でその人とくっついて子供が生まれても、変わらない。
神様って本当は、存在するんだな。
勿論、教祖ではない。
「肇君、今!救急車呼ぶから!」
彼が血の付いた手で電話を掴み、番号を押そうとするが、焦っている為か、うまく押す事ができない。
その手を掴み、触れ、自分の頬に当てる。
「肇君……」
「先生、僕ね。今ならね、神様を信じていいと思うんだ」
それくらい今、会えてよかったと思っているんだよ。
「ねぇ、先生。僕の宗教上のお名前。本当の名前教えてあげるね」
もう、命が終わってしまう。
視界がぼやけ、彼の顔を見る事ができなくなっていく。
「これは自分の親と、自分しか知らない。自分が結婚した時に、パートナーに教える名前」
自分がそれを彼に教えた時、自分の体が力なく倒れ、彼がそれを支えた。
(あー、よかった。人生の最後が好きな人と二人っきりで――)
自分は瞳を閉じると、自分の頬に温かい雫が数滴、落ちた。

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