雪だらけの庭を抜け、建物に入ると、玄関の壁に折り紙で作った花が画鋲で貼ってあった。
(孤児院って初めてくるな……)
通常なら、関わる事がない世界だろう。
靴を脱いでいると、彼はスリッパとモコモコしている靴下、未使用の物を渡してきた。
「寒いから、これ使って。この建物、古くて床から冷気が入ってくるんだ」
受け取り、その場にしゃがみ、二人でそれを履いていると、中履きのキュッキュという音が複数聞こえてきた。
「先生、この人誰?」
「誰、誰?」
アオイ少年と同じくらいの年齢だろうか、子供達が集まってくる。
「先生のお客さん」
靴下を履いている間に子供達に囲まれ、志摩も自分も子供が群がってくる。
「あそぼ!」
「遊んで!」
志摩も自分も、子供達が両手を繋ぎ、腕や背中に頬ずりされる。
(何、この可愛い生き物は……)
オメガの愛らしい子供が、おんぶのように背中に抱き着き、しゃがんでいる自分の頬にスリスリしてくる。
アオイ少年が懐いてくれなかったからだろうか、それが自分にとって気持ちよく、甘えん坊の子供達に癒される。
「後で、遊ぼうね」
子供達にそう言うと、彼は言う。
「今日は勉強しなくてもいいから、静かに遊んでいてくれよ」
彼はそう言い、近くにいた子供の頭を撫でると、子供達のテンションが自分達に会った時よりも上がった。
「えっ?いいの?」
勉強しなくていいという言葉で、皆がその場から離れ、散り散りになる。
(俺、勉強しなくていいに負けた、のか?)
そう思っている横で、彼は溜息を吐く。
「ふう、これで騒がしくなくなった……えっ?まじ?」
彼が自分の顔を見て、驚いた声を出した。
「何で、泣いてるの?」
一筋の涙が頬を伝うのが分かる。
子供というものは、非常に残酷である。
別の物に興味を持つと、どこかに行ってしまう。
「こういうやつなんだ、放っておいてくれ」
志摩が淡々とした声で言った。
*
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
移動した廊下で中学生くらいの男女とすれ違い、挨拶を交わす。
「じゃあ、この部屋に入って」
そこは応接室で、外や玄関とは違い、扉が開くと温かい空気が通り抜け、肌を撫でた。
応接室は、ストーブで温めていたようである。
低いテーブルを挟み、使い古されたソファーが四つ並んでいるのだが、その椅子の革部分、所々穴が開いている。
志摩と自分が彼の向かいに座り、上着を脱ぐと、応接室に一人の女の子がお茶を淹れてきた。
花柄のティーカップに、輪っかに切られたレモンが添えられている。
「ミルク、いりますか?」
「いや、大丈夫」
そう答えると、彼女はニッコリと笑い、その場を後にした。
(可愛い……)
肇と城永ほどではないが、顔は整っている。
その女子はスレンダーのオメガで、日本人顔の美人系で、清楚な雰囲気なのが、とても良い。
好きな人は、堪らないだろう。
「あの子、うちの嫁な。出来婚だ」
目の前の男性は、冷静な顔でそう言い、熱い紅茶をグビグビ飲む。
自分の横の志摩は無言で、出された紅茶にレモンを入れた。
「さて、本題に入ろうか」
彼はそう言い、その瞬間からアルファらしい鋭い目をした。
「俺は『尾崎 作治(おざき さくじ)』逮捕された教祖の五男、後継者だと指名を受けている」
男の正体に驚愕したが、それよりも彼が全く違う人物に見えた事に驚いた。
先程の緩やかな雰囲気と、全く違う顔。
アルファには、カリスマ性があるとは聞くが、ここまで洗練されたものを、今まで見たことがない。
「君の方が肇の恋人って事で合ってる?」
そう言い、彼は自分を見る。
「そうです」
緩やかな雰囲気と子供達の存在で、油断というか、気持ちが揺らいだが、今日自分はこの男を殴ってやろうと思っていた。
肇がどれくらい辛かったか、苦しい思いをしてきたか。
そう思うと、彼にはそれと同じ思い、同じくらいの重みを背負ってもらわないと困る。
「肇、本当に愛される子になったんだなぁ」
彼はそう言った。
「俺の事、後で殴ってもいいから。俺の話、聞いてくれる?」
彼はそう言うと、ツラツラ自分の身の上話をし始めた。
彼は教祖の愛人との子供、五男として生を受けた。
母親はベータだったが、母方の祖父がアルファだった為、それを引いたと思われる。
彼の人生は、困難ばかりだった。
十数人いる兄弟の中で、自分だけがアルファだった為、十歳で後継者として任命されたのだ。
兄弟も、その親も、父の愛人も、信者も皆、彼を欲しがった。
髪も爪も、皮膚も、唾液も、精液も全部。
信者に誘拐されかけた事も、兄から暗殺されかけた事も、姉や父の愛人から強姦された事も、何回も何回も存在した。
そして中学一年生の時、母親が交通事故で死んだ。
運転していた車のブレーキが利かず、T字路で混じった車線の大型トラックと衝突した。
おそらく、暗殺なのだろう。
それを見かねて、母親側の親戚が助けてくれ、全国を転々とする暮らしが始まった。
高校の出席日数が足りず、高卒試験を受け、その後も、いつでも逃げられるように、大学も通信のものを選んだ。
でも、どこから情報が洩れているのか、信者や刺客は、家を突き止めてやってきた。
「大変だったな……子供だったのに、よく耐えたな俺……」
尾崎はそう呟き、遠い目をした。
「そんな中、彼が母親に連れられてやってきたんだ」
彼は自分に困ったような笑顔を向ける。
「今回の未成年の被害者、報道されてないけど、小学生もいる。恐ろしいだろ?」
彼の目に光は無い、恐ろしいものを見つくしたという顔だ。
自分の親が未成年の子に悪い事をしている事を知っていたから、その親子が来た時、恐ろしく感じた。
この子が洗礼と称し、犯される。
運が悪ければ、身籠り、体も精神も壊れる。
だから、自分が少年に悪い事をするフリをすれば、母親は正気を取り戻すだろう。
今、自分がしている事は、幸せになる事とは程遠いもので、大切なものを失う行為だと、そう気がつくだろうと思った。
だが、現実は違った。
「自分が彼を無理やり家に入れた後、ドアスコープから覗いたら、彼の母親、どうしていたと思う?」
普通なら、警察を呼んだり、助けを呼んだりするはずだ。
「ただ、お祈りしていたよ。それで、自分はダメだと、このままだと、この親はこの子を教会に平気で差し出すと思った」
だから噛んだんだと、彼は呟いた。
「事情は自分しか分からないし、彼にトラウマを植え付けてしまったから、凄く後悔してさ」
彼はそう言い、近くにあった灰皿を寄せ、煙草を上着から取り出し、ライターで火を付ける。
「実は色々していたんだよ。彼が金銭的に困らないように、仕事は出世させたり。不満が出ないようにチームも厳選し、合わなそうなら、そいつを転勤移動させたりね」
彼は言う。
「でも、間違いだった」
彼は言う、早く彼に謝って許して貰って、母親から引き離すべきだったと。
遠くに逃がすべきだったと、言葉にする。
すると、隣の志摩が言った。
「肇は幸せだったと思いますよ。確かに困った事が無かった訳ではないけれど、少なくても自分と漆と一緒の時は、幸せそうでした」
そう言った時、水滴が彼の頬を伝った。
「よかった」
彼は眼鏡を外し、自分の袖で水滴を拭う。
(志摩は凄いな……)
自分はこの人の事情を考えず、ただ恨む事しか出来なかった。
自分が恥ずかしくなる。
そう思っていると、志摩は彼に言った。
「煙草、俺も吸いたいので、灰皿借りてもいいですか?」
やはり志摩は、空気が読めない人間だった。

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