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 第七章『君の最後』⑦

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 雪だらけの庭を抜け、建物に入ると、玄関の壁に折り紙で作った花が画鋲で貼ってあった。

(孤児院って初めてくるな……)

 通常なら、関わる事がない世界だろう。

 靴を脱いでいると、彼はスリッパとモコモコしている靴下、未使用の物を渡してきた。

「寒いから、これ使って。この建物、古くて床から冷気が入ってくるんだ」

 受け取り、その場にしゃがみ、二人でそれを履いていると、中履きのキュッキュという音が複数聞こえてきた。

「先生、この人誰?」

「誰、誰?」

 アオイ少年と同じくらいの年齢だろうか、子供達が集まってくる。

「先生のお客さん」

 靴下を履いている間に子供達に囲まれ、志摩も自分も子供が群がってくる。

「あそぼ!」

「遊んで!」

 志摩も自分も、子供達が両手を繋ぎ、腕や背中に頬ずりされる。

(何、この可愛い生き物は……)

 オメガの愛らしい子供が、おんぶのように背中に抱き着き、しゃがんでいる自分の頬にスリスリしてくる。

 アオイ少年が懐いてくれなかったからだろうか、それが自分にとって気持ちよく、甘えん坊の子供達に癒される。

「後で、遊ぼうね」

 子供達にそう言うと、彼は言う。

「今日は勉強しなくてもいいから、静かに遊んでいてくれよ」

 彼はそう言い、近くにいた子供の頭を撫でると、子供達のテンションが自分達に会った時よりも上がった。

「えっ?いいの?」

 勉強しなくていいという言葉で、皆がその場から離れ、散り散りになる。

(俺、勉強しなくていいに負けた、のか?)

 そう思っている横で、彼は溜息を吐く。

「ふう、これで騒がしくなくなった……えっ?まじ?」

 彼が自分の顔を見て、驚いた声を出した。

「何で、泣いてるの?」

 一筋の涙が頬を伝うのが分かる。

 子供というものは、非常に残酷である。

 別の物に興味を持つと、どこかに行ってしまう。

「こういうやつなんだ、放っておいてくれ」

 志摩が淡々とした声で言った。

「こんにちは」

「こ、こんにちは」

 移動した廊下で中学生くらいの男女とすれ違い、挨拶を交わす。

「じゃあ、この部屋に入って」

 そこは応接室で、外や玄関とは違い、扉が開くと温かい空気が通り抜け、肌を撫でた。

応接室は、ストーブで温めていたようである。

 低いテーブルを挟み、使い古されたソファーが四つ並んでいるのだが、その椅子の革部分、所々穴が開いている。

 志摩と自分が彼の向かいに座り、上着を脱ぐと、応接室に一人の女の子がお茶を淹れてきた。

 花柄のティーカップに、輪っかに切られたレモンが添えられている。

「ミルク、いりますか?」

「いや、大丈夫」

 そう答えると、彼女はニッコリと笑い、その場を後にした。

(可愛い……)

 肇と城永ほどではないが、顔は整っている。

 その女子はスレンダーのオメガで、日本人顔の美人系で、清楚な雰囲気なのが、とても良い。

 好きな人は、堪らないだろう。

「あの子、うちの嫁な。出来婚だ」

 目の前の男性は、冷静な顔でそう言い、熱い紅茶をグビグビ飲む。

 自分の横の志摩は無言で、出された紅茶にレモンを入れた。

「さて、本題に入ろうか」

 彼はそう言い、その瞬間からアルファらしい鋭い目をした。

「俺は『尾崎 作治(おざき さくじ)』逮捕された教祖の五男、後継者だと指名を受けている」

 男の正体に驚愕したが、それよりも彼が全く違う人物に見えた事に驚いた。

 先程の緩やかな雰囲気と、全く違う顔。

 アルファには、カリスマ性があるとは聞くが、ここまで洗練されたものを、今まで見たことがない。

「君の方が肇の恋人って事で合ってる?」

 そう言い、彼は自分を見る。

「そうです」

 緩やかな雰囲気と子供達の存在で、油断というか、気持ちが揺らいだが、今日自分はこの男を殴ってやろうと思っていた。

 肇がどれくらい辛かったか、苦しい思いをしてきたか。

 そう思うと、彼にはそれと同じ思い、同じくらいの重みを背負ってもらわないと困る。

「肇、本当に愛される子になったんだなぁ」

 彼はそう言った。

「俺の事、後で殴ってもいいから。俺の話、聞いてくれる?」

 彼はそう言うと、ツラツラ自分の身の上話をし始めた。

 彼は教祖の愛人との子供、五男として生を受けた。

 母親はベータだったが、母方の祖父がアルファだった為、それを引いたと思われる。

 彼の人生は、困難ばかりだった。

 十数人いる兄弟の中で、自分だけがアルファだった為、十歳で後継者として任命されたのだ。

 兄弟も、その親も、父の愛人も、信者も皆、彼を欲しがった。

 髪も爪も、皮膚も、唾液も、精液も全部。

 信者に誘拐されかけた事も、兄から暗殺されかけた事も、姉や父の愛人から強姦された事も、何回も何回も存在した。

 そして中学一年生の時、母親が交通事故で死んだ。

 運転していた車のブレーキが利かず、T字路で混じった車線の大型トラックと衝突した。

 おそらく、暗殺なのだろう。

 それを見かねて、母親側の親戚が助けてくれ、全国を転々とする暮らしが始まった。

 高校の出席日数が足りず、高卒試験を受け、その後も、いつでも逃げられるように、大学も通信のものを選んだ。

 でも、どこから情報が洩れているのか、信者や刺客は、家を突き止めてやってきた。

「大変だったな……子供だったのに、よく耐えたな俺……」

 尾崎はそう呟き、遠い目をした。

「そんな中、彼が母親に連れられてやってきたんだ」

 彼は自分に困ったような笑顔を向ける。

「今回の未成年の被害者、報道されてないけど、小学生もいる。恐ろしいだろ?」

 彼の目に光は無い、恐ろしいものを見つくしたという顔だ。

 自分の親が未成年の子に悪い事をしている事を知っていたから、その親子が来た時、恐ろしく感じた。

 この子が洗礼と称し、犯される。

 運が悪ければ、身籠り、体も精神も壊れる。

 だから、自分が少年に悪い事をするフリをすれば、母親は正気を取り戻すだろう。

 今、自分がしている事は、幸せになる事とは程遠いもので、大切なものを失う行為だと、そう気がつくだろうと思った。

 だが、現実は違った。

「自分が彼を無理やり家に入れた後、ドアスコープから覗いたら、彼の母親、どうしていたと思う?」

 普通なら、警察を呼んだり、助けを呼んだりするはずだ。

「ただ、お祈りしていたよ。それで、自分はダメだと、このままだと、この親はこの子を教会に平気で差し出すと思った」

 だから噛んだんだと、彼は呟いた。

「事情は自分しか分からないし、彼にトラウマを植え付けてしまったから、凄く後悔してさ」

 彼はそう言い、近くにあった灰皿を寄せ、煙草を上着から取り出し、ライターで火を付ける。

「実は色々していたんだよ。彼が金銭的に困らないように、仕事は出世させたり。不満が出ないようにチームも厳選し、合わなそうなら、そいつを転勤移動させたりね」

 彼は言う。

「でも、間違いだった」

 彼は言う、早く彼に謝って許して貰って、母親から引き離すべきだったと。

 遠くに逃がすべきだったと、言葉にする。

 すると、隣の志摩が言った。

「肇は幸せだったと思いますよ。確かに困った事が無かった訳ではないけれど、少なくても自分と漆と一緒の時は、幸せそうでした」

 そう言った時、水滴が彼の頬を伝った。

「よかった」

 彼は眼鏡を外し、自分の袖で水滴を拭う。

(志摩は凄いな……)

 自分はこの人の事情を考えず、ただ恨む事しか出来なかった。

 自分が恥ずかしくなる。

 そう思っていると、志摩は彼に言った。

「煙草、俺も吸いたいので、灰皿借りてもいいですか?」

 やはり志摩は、空気が読めない人間だった。

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